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プロ野球

絶望の淵から這い上がったサブマリン。オリックスのドラ4・中川颯がプロ野球選手の夢を掴むまで

北野正樹

2021.02.17

 野球を始めたのは小学1年の時。横浜商時代に甲子園の出場経験がある父、貴成さんからゴルファーやレーサーなどのスポーツを勧められ、選んだのが姉の友達がやっていた野球だった。中川が地元の小雀少年野球団に入団すると、貴成さんとの二人三脚のトレーニングが始まる。「やるなら中途半端ではだめだ」という父の指導は厳しかった。小学校から帰ると、祖父が経営するガソリンスタンドに勤務する貴成さんのもとに向かい、投球練習やネットを張ってティーバッティング。さらに毎日、6キロを走った。

「漫画『巨人の星』の星一徹、そのものでしたよ」と父の厳しい指導を振り返るが、練習を押し付けられるのではなく自らも模索を続けた。遊撃と4番手の投手で、身長も150センチ程度という小学6年の中川が選んだのは、テレビの日本シリーズで観た渡辺俊介(ロッテ)のアンダースローだった。「足が速いわけでも、運動能力が優れているわけでもなかった。何か武器を持っていないと生き残れない」と早速取り組み、身長が急激に伸び出した後も上手投げに変えようとは思わなかった。
 
 各球団のドラフト戦略は、直前の成績だけを重視するものではない。練習に取り組む姿勢やグラウンド内外でのリーダーシップなど、人間性も含めて評価するものだ。そうは言っても、ドラフト直前の不甲斐ない投球内容では夢だったプロの世界への夢を叶えることが出来ずに終わってしまうと追い詰められた。

 この時の心境を中川は、昨年11月3日に配信された【RIKKIO weekly news】の〔野球部情報〕〔選手から一言〕で
「これまでの野球人生を一言で表せば、『本当に辛かった』。これに尽きます。もちろん素晴らしい環境の中で野球をさせていただいて日本一も経験させてもらい、楽しいことや嬉しいことの思い出も沢山ありますが、それ以上に苦しくて悩み続けた記憶の方が脳裏に強く焼き付いています」
「野球を始めた小学生の頃から大学引退まで、何度も辞めたい、逃げ出したい、何のために生きてるのか、もういっそのこと死んでしまおうとまで本気で思ったことが数えきれないほどありました。一人で大泣きした夜も何度もありました」
と、赤裸々に記した。
 

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