▼岡田彰布(1979年ドラフト1位)
早稲田大では三塁手として活躍。通算打率.379と81打点は現在もなおリーグ記録である(ただし単位不足だったため大学は卒業しておらず、中退扱いとなっている)。79年ドラフトでは当時史上最多の6球団競合の末に阪神へ入団した。
当時監督だった元メジャーリーガーのドン・ブレイザーは、「メジャーでは新人をレギュラーとして起用することはほとんどあり得ない」として岡田を控えにとどめていたが、ファンの激しい抗議により二塁のレギュラーへ昇格(シーズン途中にブレイザーは解任される)。オールスターにも選ばれて当時史上最年少で代打本塁打を放ち、MVPを受賞するなど活躍を続け、打率.290、18本塁打で新人王を受賞した。その後も主力として活躍を続け、85年の球団初の日本一にも主力として大きく貢献している。
▼鳥谷敬(2003年自由獲得枠)
岡田と同じく早稲田大で活躍した遊撃手で、2年春のシーズンでは史上最速タイで三冠王を獲得。3年春から4年秋までのリーグ4連覇にも中核として貢献し、02年には5球団の争奪戦の末に自由獲得枠で阪神へ入団した。いきなり背番号1を与えられたことからも,
当時の大きさが分かる。
ルーキーイヤーの04年はキャンプやオープン戦で結果を残し、巨人との開幕戦には7番ショートでスタメン出場。その後はプロの適応に苦しみながらも101試合に出場した。2年目の05年からは14年連続で全試合出場を達成。ベストナイン6度、ゴールデン・グラブを5回受賞するなど球界を代表する遊撃手として活躍を続け、17年には阪神の生え抜きでは史上2人目の通算2000安打も達成した。
▼髙山俊(2015年ドラフト1位)
明治大では1年からレギュラーに定着し、15年には通算131安打の六大学リーグ最多記録を打ち立てている。15年ドラフトではヤクルトと阪神の2球団が競合。当時ヤクルトの監督だった真中満が外れクジを当たりクジと誤認してガッツポーズするという一幕もあったが、当たりを引いたのは金本知憲監督の方だった。
在学中に右手首を骨折して手術を受けたため春季キャンプは二軍で迎えたが、オープン戦では14試合に出場して打率.327と活躍。中日との開幕戦では1番レフトでスタメンを勝ち取り(新人の開幕戦1番起用は球団44年ぶりだった)、第1打席で大野雄大からプロ初安打を放った。シーズンを通してレフトのレギュラーとして出場し続け、球団新人記録となる136安打で新人王も受賞した。だが、その後は攻守に精彩を欠いて出場機会が年々減少している。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
早稲田大では三塁手として活躍。通算打率.379と81打点は現在もなおリーグ記録である(ただし単位不足だったため大学は卒業しておらず、中退扱いとなっている)。79年ドラフトでは当時史上最多の6球団競合の末に阪神へ入団した。
当時監督だった元メジャーリーガーのドン・ブレイザーは、「メジャーでは新人をレギュラーとして起用することはほとんどあり得ない」として岡田を控えにとどめていたが、ファンの激しい抗議により二塁のレギュラーへ昇格(シーズン途中にブレイザーは解任される)。オールスターにも選ばれて当時史上最年少で代打本塁打を放ち、MVPを受賞するなど活躍を続け、打率.290、18本塁打で新人王を受賞した。その後も主力として活躍を続け、85年の球団初の日本一にも主力として大きく貢献している。
▼鳥谷敬(2003年自由獲得枠)
岡田と同じく早稲田大で活躍した遊撃手で、2年春のシーズンでは史上最速タイで三冠王を獲得。3年春から4年秋までのリーグ4連覇にも中核として貢献し、02年には5球団の争奪戦の末に自由獲得枠で阪神へ入団した。いきなり背番号1を与えられたことからも,
当時の大きさが分かる。
ルーキーイヤーの04年はキャンプやオープン戦で結果を残し、巨人との開幕戦には7番ショートでスタメン出場。その後はプロの適応に苦しみながらも101試合に出場した。2年目の05年からは14年連続で全試合出場を達成。ベストナイン6度、ゴールデン・グラブを5回受賞するなど球界を代表する遊撃手として活躍を続け、17年には阪神の生え抜きでは史上2人目の通算2000安打も達成した。
▼髙山俊(2015年ドラフト1位)
明治大では1年からレギュラーに定着し、15年には通算131安打の六大学リーグ最多記録を打ち立てている。15年ドラフトではヤクルトと阪神の2球団が競合。当時ヤクルトの監督だった真中満が外れクジを当たりクジと誤認してガッツポーズするという一幕もあったが、当たりを引いたのは金本知憲監督の方だった。
在学中に右手首を骨折して手術を受けたため春季キャンプは二軍で迎えたが、オープン戦では14試合に出場して打率.327と活躍。中日との開幕戦では1番レフトでスタメンを勝ち取り(新人の開幕戦1番起用は球団44年ぶりだった)、第1打席で大野雄大からプロ初安打を放った。シーズンを通してレフトのレギュラーとして出場し続け、球団新人記録となる136安打で新人王も受賞した。だが、その後は攻守に精彩を欠いて出場機会が年々減少している。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)