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「20世紀のトレバー・バウアー」物理オタクのサイ・ヤング賞投手、マイク・マーシャル逝く<SLUGGER>

豊浦彰太郞

2021.06.08

 しかし、彼の理論は日の目を見なかった。時代を先取りし過ぎていたこともあるだろうが、独善的なキャラが災いした面も否定できない。10年ほど前、ぼくは彼のウェブサイトをのぞいてその投球理論を学ぼうとしたのだが、挫折してしまった。内容は難解かつ自己陶酔的で、ぼくの英文読解力の不足を差し引いても、オールドスクールな球界関係者の関心を集めることができるとは思えなかった。

 マーシャルの現役時代は、現代ほど球界は価値観の多様性を受け入れていなかった。野球選手といえば粗野なカントリーボーイが多く、クラブハウスではラジカセでカントリーウエスタンを響かせ、ポーカーに興じていた。そんな中にあって、博士号を有し、チェスを愛するマーシャルは明らかに異質で、本人の激情型の気質も相まって同僚や監督・コーチとたびたび衝突した。
 
 70年に出版され、ベストセラーとなったジム・バウトンの暴露本『ボール・フォア』には、マーシャルのトラブルエピソードがいくつも紹介されている。たとえば、わざと帽子を前後逆に被り、コーチから注意されると帽子を地面に叩きつけて「どうだ、これで後ろ向きではないだろう」と叫んだ、というようなものだ。このようなことをやっていては、同僚やコーチ陣からも敬遠されるのも無理はなく、ついには監督からも公然と罵倒されるようになったという。

 そのような人格は引退してからも変わらず、結局ついぞコーチとして登用されることはなかった。07年頃には「愚か者の相手をするのに飽き飽きしたんだ」と言いながら、球界関係者とも断絶。自ら道を閉ざしてしまった。マーシャルにあとほんの少し社交性があったら、もしくはあと10年遅く生まれ、球界が多様性を受け入れられる時代に自らの理論を披露することができていたら、今はレッズのフロントオフィスに登用されたボディのように、時代の寵児として活躍することができていたかもしれない。

文●豊浦彰太郎

【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。
 

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