専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
プロ野球

工藤公康は歴代の名将を超えたのか?鶴岡、野村、王、秋山と続くホークス指揮官の系譜

2019.11.08

 しかし鶴岡が監督を退任した直後の69年、前年は2位だったホークスはいきなり最下位に沈む。鶴岡の教え子だった新監督の飯田徳治は一年で解任され、代わって選手兼任監督に選ばれたのが野村克也だった。

 野村は情と精神論の鶴岡イズムの浸透したチームの改革を志し、メジャー通算1366安打の実績を残したドン・ブレイザーをヘッドコーチに招聘。ブレイザーの掲げる合理的な“シンキング・ベースボール”を浸透させるとともに、他球団から放逐された選手を“再生”して主力に成長させた。73年には当時パ・リーグ首位の常連だった阪急ブレーブスを破ってリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズでは当時V9真っ只中の巨人の牙城を崩せず、日本一はならなかった。

 しかし77年途中に野村が解任されると、ホークスは長い長い暗黒時代に突入する。翌年から一度もAクラス入りすることができないまま、身売りによって88年限りで南海ホークスは消滅した。
 
 翌89年からは本拠地を福岡に移し、チーム名も「福岡ダイエーホークス」に変わったが4位。南海時代から引き続いて監督をしていた杉浦忠を解任し、田淵幸一を監督に迎えたが、90~92年の3年で一度もAクラス入りは果たせず。続いて元広島カープ監督の根本陸夫を招聘したが、これでも優勝はならず、そこで招聘されたのが王貞治だった。

 王も最初は苦闘の連続だった。就任初年度の95年は5位、2年目の96年は最下位に沈んで、ファンから生卵を投げつけられるという屈辱を味わった。これに発奮した王は97年4位、98年3位と徐々にチームを押し上げ、99年にはダイエー初のリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも中日を破って日本一に輝く。2000年もリーグ連覇を果たして日本シリーズで長嶋巨人と対決、ONシリーズと騒がれるも4勝2敗で惜敗した。

 その後も王ダイエーは強さを持続させ、03年には斉藤和巳、和田毅、杉内俊哉らの揃った投手陣に、松中信彦、城島健司、井口資仁らのを中心とするダイハード打線と、圧倒的な戦力を擁して日本一に輝く。

 球界再編の嵐が吹き荒れた04年オフにはソフトバンクが球団を買収。現在の福岡ソフトバンクホークスとなった。王は親会社が変わっても引き続き監督を務め、3年連続でポストシーズンに進出したが、日本シリーズ進出は逃している。体調不良もあって08年限りで勇退した。ホークスでは14シーズン指揮を執り、リーグ優勝5回、日本一2回という記録を残した。

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号