達にとって、高校2年からの1年間は自分自身と向き合う貴重な日々だった。あまり練習をするタイプではなかった中学時代から明らかに変わったのは、自身を見つめ直して、どのような選手になりたいかのビジョンを描けたことだ。目標はサイ・ヤング賞を3度獲得しているマックス・シャーザー(ドジャース)に設定。力感のないフォームから、回転のいいボールを投げ込む海の向こうの怪腕を、ただただ目指した。
もちろん、高校野球なので、その間、再開した公式戦では勝つことも負けることもあった。サイン伝達され、「そんなことしてまで勝って嬉しいんかな」と考えたりしたこともあったが、そうした時間も彼にとって成長の糧になった。
高校2年の冬を終えた頃、親に頼み込んで、ボールの回転数などを測定するラプソードを購入した。近年の野球、はテクノロジー化の波を受けてどんどん進化している。メジャー挑戦への夢を持つ達が世界の動きに敏感に反応するのは当然の帰結だった。
「でも、今思えば、自分のことを分かっていなかったですね」
憧れを持つばかり、自分とは違うスタイルのボールを覚えようとして、バランスを崩したこともあった。それはそれで高校生らしいのだが、それでも最先端の投手になろうという努力は惜しまなかった。
今春のセンバツに出場した達は、3試合に先発し、2試合で完投している。球数はともに160球を超えたが、これについても「この先、こんな球数を投げることはないと思うので、いい経験だった。投げてみて、やっぱりフォームは大事だなと思った」と振り返っている。
だが、登板過多の影響は少なくなかった。センバツ中に痛めた脇腹痛はなかなか癒えることがなく、脇腹を庇うあまりにヒジ痛も引き起こし、最後の夏にベストな状態で臨むことはできなかった。
しかし、達は甲子園を目指しつつも、自身を高めていくことに最も主眼を置いていた夏を前にして語っていた言葉は印象的だった。
「夏の大会が終わればすべてが終わりというわけじゃない。自分の目標を叶えるためには夏の大会が終わってからが大事だと思う。今は与えられたメニューをやっていますけど、夏を終えれば自分で考えたトレーニングをやることになります、まだまだ成長できるかなと思います」
この夏、達は奈良大会の準決勝で敗れた。先発マウンドには立たず、チームの窮地を救うべくリリーフでマウンドに上がったが、サヨナラ負けを喫した。当然、悔しさはあったが、翌日は同学年のチームメイトがいなくなった寮にただ1人残り、グラウンドで汗を流した。目指すべき目標が甲子園の他にもあったからだ。
のちに聞いた話だが、達は夏の大会を終えてから、球種を増やしている。もともと持っていたストレートに磨きをかけ、スライダー、スプリット、カーブ、さらにスラッター、ツーシームも習得したという。自分を高めていくという信念にブレがなかったから、敗戦翌日でもグラウンドに向かい、その後も成長できたのだろう。
今年のドラフト前、達を高校トップクラスの投手に挙げるメディアはそれほど多くなかった。
それでも単独1位指名を勝ち取った。
高校野球を引退してから新しい球種を覚えたドラフト候補など、これまでいなかっただろう。
未知の可能性を力にできる男、達孝太。
1位指名は至極納得のいく評価である。
取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。
もちろん、高校野球なので、その間、再開した公式戦では勝つことも負けることもあった。サイン伝達され、「そんなことしてまで勝って嬉しいんかな」と考えたりしたこともあったが、そうした時間も彼にとって成長の糧になった。
高校2年の冬を終えた頃、親に頼み込んで、ボールの回転数などを測定するラプソードを購入した。近年の野球、はテクノロジー化の波を受けてどんどん進化している。メジャー挑戦への夢を持つ達が世界の動きに敏感に反応するのは当然の帰結だった。
「でも、今思えば、自分のことを分かっていなかったですね」
憧れを持つばかり、自分とは違うスタイルのボールを覚えようとして、バランスを崩したこともあった。それはそれで高校生らしいのだが、それでも最先端の投手になろうという努力は惜しまなかった。
今春のセンバツに出場した達は、3試合に先発し、2試合で完投している。球数はともに160球を超えたが、これについても「この先、こんな球数を投げることはないと思うので、いい経験だった。投げてみて、やっぱりフォームは大事だなと思った」と振り返っている。
だが、登板過多の影響は少なくなかった。センバツ中に痛めた脇腹痛はなかなか癒えることがなく、脇腹を庇うあまりにヒジ痛も引き起こし、最後の夏にベストな状態で臨むことはできなかった。
しかし、達は甲子園を目指しつつも、自身を高めていくことに最も主眼を置いていた夏を前にして語っていた言葉は印象的だった。
「夏の大会が終わればすべてが終わりというわけじゃない。自分の目標を叶えるためには夏の大会が終わってからが大事だと思う。今は与えられたメニューをやっていますけど、夏を終えれば自分で考えたトレーニングをやることになります、まだまだ成長できるかなと思います」
この夏、達は奈良大会の準決勝で敗れた。先発マウンドには立たず、チームの窮地を救うべくリリーフでマウンドに上がったが、サヨナラ負けを喫した。当然、悔しさはあったが、翌日は同学年のチームメイトがいなくなった寮にただ1人残り、グラウンドで汗を流した。目指すべき目標が甲子園の他にもあったからだ。
のちに聞いた話だが、達は夏の大会を終えてから、球種を増やしている。もともと持っていたストレートに磨きをかけ、スライダー、スプリット、カーブ、さらにスラッター、ツーシームも習得したという。自分を高めていくという信念にブレがなかったから、敗戦翌日でもグラウンドに向かい、その後も成長できたのだろう。
今年のドラフト前、達を高校トップクラスの投手に挙げるメディアはそれほど多くなかった。
それでも単独1位指名を勝ち取った。
高校野球を引退してから新しい球種を覚えたドラフト候補など、これまでいなかっただろう。
未知の可能性を力にできる男、達孝太。
1位指名は至極納得のいく評価である。
取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。