44年には、初代コミッショナーの栄誉を称えてケネソー・マウンテン・ランディス賞という名前が冠された。しかしながら、ランディスは黒人選手のメジャー入りに反対した経緯があったことから、BLM運動が高まりを見せていた20年にその名が削除されることになった。
NPBに比べ、MLBでは投手がMVPに選ばれるケースがかなり少ないことで知られる。ただし、かつてはそうでもなく、制定後最初の15年間でナ・リーグは5人、ア・リーグでは初代受賞者のレフティ・グローブをはじめとして4人の投手が選ばれている。全体のちょうど3割が投手の受賞者だったことになり、50年にはフィリーズの優勝に貢献したジム・コンスタンティが、リリーフ投手として初めて選ばれた。
しかし、56年に最優秀投手賞としてサイ・ヤング賞が制定された頃から、急激にその数は減っていった。「投手にはサイ・ヤング賞があるからMVPは野手に」という観念が投票者の間で高まったのである。毎日出場する野手の方が、4~5日に一度しか投げない先発投手より価値があるとも見なされた。一度の登板で100球以上も投げれば、4~5試合分の仕事になって労働力は野手と変わりないはずなのだが、今でもこうした考えは根強い。
“投手の年”と呼ばれた68年に、31勝を挙げたデニー・マクレイン(タイガース)と防御率1.12のボブ・ギブソン(カーディナルス)が受賞して以降の40年間で、MVPに輝いた先発投手はヴァイダ・ブルー(アスレティックス)と86年のロジャー・クレメンス(レッドソックス)しかいない。
85年のドワイト・グッデン(メッツ/24勝4敗、防御率1.53、268奪三振)や88年のオーレル・ハーシャイザー(ドジャース/23勝8敗、防御率2.26、59イニング連続無失点の新記録を樹立)らはMVPになっておかしくない成績だったが、投票結果はグッデンが1位票1票のみで総合4位、ハーシャイザーに至っては1位票ゼロで6位どまり。両者ともどれだけ勝利に貢献したかを示す総合指標WAR(Baseball Reference版)は1位だったので、現在ならば受賞する可能性は大きいと思われる。
そんな野手優先の風潮の最も顕著な“被害者”が、99年のペドロ・マルティネス(レッドソックス)だ。この年のマルティネスは23勝4敗、313奪三振、防御率2.07で投手三冠を総なめにし、満票でサイ・ヤング賞を受賞。bWAR9.8も両リーグダントツの数字で、MVP投票でも1位票で最多の8票を得たが、受賞したのは捕手のイバン・ロドリゲス(レンジャーズ)だった。
なぜこんなことが起こったのかというと、2人の記者がマルティネスに対して票を入れなかったため(MVPは10位まで投票が許されているが、10位以内にも入れなかった)。2人のどちらかが4位以内に票を入れていればマルティネスがMVPになっていたはずで、この結果は当時も少なからず物議を醸した。このような流れは2010年代に入ってようやく変わり、11 年にジャスティン・バーランダー(タイガース)、14年にはクレイトン・カーショウ(ドジャース)が受賞を果たしている。
(後編に続く)
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
※スラッガー2021年11月号より転載
NPBに比べ、MLBでは投手がMVPに選ばれるケースがかなり少ないことで知られる。ただし、かつてはそうでもなく、制定後最初の15年間でナ・リーグは5人、ア・リーグでは初代受賞者のレフティ・グローブをはじめとして4人の投手が選ばれている。全体のちょうど3割が投手の受賞者だったことになり、50年にはフィリーズの優勝に貢献したジム・コンスタンティが、リリーフ投手として初めて選ばれた。
しかし、56年に最優秀投手賞としてサイ・ヤング賞が制定された頃から、急激にその数は減っていった。「投手にはサイ・ヤング賞があるからMVPは野手に」という観念が投票者の間で高まったのである。毎日出場する野手の方が、4~5日に一度しか投げない先発投手より価値があるとも見なされた。一度の登板で100球以上も投げれば、4~5試合分の仕事になって労働力は野手と変わりないはずなのだが、今でもこうした考えは根強い。
“投手の年”と呼ばれた68年に、31勝を挙げたデニー・マクレイン(タイガース)と防御率1.12のボブ・ギブソン(カーディナルス)が受賞して以降の40年間で、MVPに輝いた先発投手はヴァイダ・ブルー(アスレティックス)と86年のロジャー・クレメンス(レッドソックス)しかいない。
85年のドワイト・グッデン(メッツ/24勝4敗、防御率1.53、268奪三振)や88年のオーレル・ハーシャイザー(ドジャース/23勝8敗、防御率2.26、59イニング連続無失点の新記録を樹立)らはMVPになっておかしくない成績だったが、投票結果はグッデンが1位票1票のみで総合4位、ハーシャイザーに至っては1位票ゼロで6位どまり。両者ともどれだけ勝利に貢献したかを示す総合指標WAR(Baseball Reference版)は1位だったので、現在ならば受賞する可能性は大きいと思われる。
そんな野手優先の風潮の最も顕著な“被害者”が、99年のペドロ・マルティネス(レッドソックス)だ。この年のマルティネスは23勝4敗、313奪三振、防御率2.07で投手三冠を総なめにし、満票でサイ・ヤング賞を受賞。bWAR9.8も両リーグダントツの数字で、MVP投票でも1位票で最多の8票を得たが、受賞したのは捕手のイバン・ロドリゲス(レンジャーズ)だった。
なぜこんなことが起こったのかというと、2人の記者がマルティネスに対して票を入れなかったため(MVPは10位まで投票が許されているが、10位以内にも入れなかった)。2人のどちらかが4位以内に票を入れていればマルティネスがMVPになっていたはずで、この結果は当時も少なからず物議を醸した。このような流れは2010年代に入ってようやく変わり、11 年にジャスティン・バーランダー(タイガース)、14年にはクレイトン・カーショウ(ドジャース)が受賞を果たしている。
(後編に続く)
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
※スラッガー2021年11月号より転載