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大学通算1登板、右ヒジ手術。日本プロ野球が見送った“独立リーガー”松田康甫はなぜドジャースと契約できたのか

中島大輔

2022.01.18

色川GM(左)の存在がすべてを変えた。写真:中島大輔

色川GM(左)の存在がすべてを変えた。写真:中島大輔

 小山田のトレーニングメニューには、以前にも聞いたことがある内容もあった。だが異なるのは、目的と効能がはっきりしていたことだ。トレーニングとピッチングが、一本の線としてつながるようにプログラムが組まれていた。

「こうやって身体を使うのかと、キャンプ期間中からなんとなく分かってきました。前回の投球ではこれがダメだったから、こういう意識を持ってこのトレーニングをやろう。そうすると、次の登板では改善されているんです。投げるたびに、自分がどんどん成長していると感じられました」

 普段から投げすぎないことで、肩やヒジに過度な負担がかからず、ブルペンに入れば高いパフォーマンスを発揮できる。トレーニングを重ねるうちに、身体操作性も高まっていった。そして、松田の中で新たな変化が生まれた。

「以前は毎日投げていたので、自分の中で“ただ投げている”状態になっていたというか。例えば、好きなものを毎日食べるより、3日に1回の方が美味しく感じられますよね。投げる頻度を減らしたことで、その1回がすごく楽しくなりました。昔は『こういう動きがしたい』と思ってもできなかったのが、トレーニングをしてから久々にやってみたら、意外とできるようになっていました」

 土台になる肉体ができ、精神面が整い、投手としての技をマウンドで効果的に発揮できるようになった。4月4日に行なわれたBCリーグの開幕戦では最速155.8キロを含め、153キロ以上を連発。大学時代は146キロがマックスだったが、わずか数ヵ月でスケールアップを果たした。4月中旬の巨人三軍との交流試合では1イニングを3者連続三振に抑え、その名はNPBにも知れ渡った。
 
 だが、4月下旬から右ヒジに痛みを感じるようになる。PRP注射で保存療法を始めたが、思うような効果は得られない。そこで最後の手段として、トミー・ジョン手術を受けた。

 松田が茨城に入団して見据えたのは、翌年のNPB入りだった。だが、メスを入れることになり、注目していたNPB球団は手を引いていった。

 大型右腕は確かに可能性を秘めるが、21年10月に23歳になった。トミー・ジョン手術から復帰するには早くて9か月、最低でも1年くらいかかるのが一般的だ。大卒の独立リーガーは一般的に「即戦力」と期待される一方、松田は無名で何の結果も残しておらず、NPBの“常識”で考えればとても指名できないだろう。

 松田の可能性を信じる者たちもいた。その一人が色川GMで、自身もアメリカやメキシコの独立リーグでプレーし、イラン代表や香港代表を率いた国際経験もあり、MLB球団の発想を分かっていた。

「日本の独立リーグの選手が、即戦力としてメジャーの舞台に上がることは求められていません。大事なのは松田がどんなポテンシャルを持っていて、どんな未来を一緒に描けるか。だから現状を正直に、全部報告しました」
 
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