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打率.128に終わった中村紀洋、“破格”契約も期待を裏切った井川慶…秋山翔吾以外にもいる「メジャーで挫折した男たち」<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2022.04.09

西岡の26歳でのメジャーデビューは、当時の日本人野手最年少。選手として油が乗った年齢でも活躍は果たせなかった。(c)Getty Images

西岡の26歳でのメジャーデビューは、当時の日本人野手最年少。選手として油が乗った年齢でも活躍は果たせなかった。(c)Getty Images

▼西岡剛(2011~12年/ツインズ)
 06年に22歳で第1回WBC日本代表に選ばれ、10年は首位打者を獲得する活躍でロッテを日本一へと導いた西岡は、同年11月に26歳にしてポスティングを申請。「若いうちに挑戦して、日本人内野手の評価を上げたい気持ちが強い」と息巻く球界屈指の韋駄天を、ツインズが約532万ドルで交渉権を得て3年925万ドルで契約を結んだ。背番号1を背負って挑んだ春季キャンプでは13試合連続安打も記録するなど実績を残し、二塁の開幕スタメンを勝ち取った。

 しかし、開幕から一週間も経たないうちに一塁走者との交錯で左足を骨折して長期離脱を余儀なくされる。約2か月後の6月中旬に復帰したものの、シーズン出塁率.278と精彩を欠き、MVPならぬLVP(Least Valuable Player=最低殊勲選手)の候補になるほどだった。結局、西岡はオフに翌年の契約解除を球団に申し出て日本復帰を選び、メジャー挑戦は1年で終了。だが、本人は後に「メジャーから1年で逃げたことを後悔している」と語り、不完全燃焼に終わったことを悔いていた。

▼中島裕之(2013~14年/アスレティックス)
『マネーボール』でも知られる名GMビリー・ビーンと笑顔で写真におさまる中島の姿は、今も強く印象に残っている。高い出塁率が自慢の強打の遊撃手として渡米した中島は、12年12月にアスレティックスと2年650万ドル+球団オプション1年で契約した。

 だが、スプリング・トレーニングからまったく打てない状態が続いた上に、左太腿裏を損傷したことがケチのつきはじめだった。結局この年はメジャー昇格できず、ずっと3A暮らし。90試合で4本塁打、OPS.698といまひとつの成績に終わった。翌14年は主戦場が2Aとなるなど、球団の戦力構想から完全に外れる形となり、3年目のオプションは当然のように拒否された。

 入団会見ではともに笑顔を見せていたビーンも「大失敗だった」と振り返るほどで、結局メジャーの舞台を踏むことなく15年にオリックスで日本復帰。現在は巨人でプレーしている。
 
▼山口俊(2020~21年/ブルージェイズ)
 19年に最多勝・最高勝率・最多奪三振の“三冠”に輝き、巨人にポスティングを申請して初めて認められた選手となった山口は、ブルージェイズと2年635万ドルで契約。だが、コロナ禍によりスプリング・トレーニングが途中で中止になるなど、思うように調整が進まない不運に見舞われた。7月にシーズンが開幕してからも伝家の宝刀フォークが通用せず、17試合で2勝4敗、防御率8.06とまったくいいところがなかった。

 2年目のキャンプ直前には40人枠から外され、秋山と同様にリリースされてしまう。それでもあくまでメジャーの舞台を目指し、ジャイアンツに拾われた際は「やっぱりメジャーリーグという舞台で1年間投げ抜く。ダメだったとしても、やっぱり自分が納得、満足できる内容でないとあきらめきれない」と力強く語っていた山口だったが、3Aでの5登板で防御率6.17に終わったことで心が折れたのか、6月には巨人に復帰する道を選んだ。

構成●SLUGGER編集部
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