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MLB

「彼の声を聞けば、映像なんて要らない」67年間ドジャース戦の実況を務めたヴィン・スカリーとファンの“幸福すぎる関係”<SLUGGER>

出野哲也

2022.08.09

 ニューヨークに生まれ、フォーダム大学時代にアナウンサー活動を開始したスカリーは、50年にドジャース戦を担当するようになった。ドジャースがまだロサンゼルスでなく、ニューヨークのブルックリンを本拠としていた頃である。名アナウンサーだったレッド・バーバーの誘いで彼の放送チームに加わり、53年には25歳の若さにしてワールドシリーズの実況も任された。

 58年に移転したロサンゼルスのリスナーにとっては、スカリーの声とドジャースの試合は同一と言ってもいいくらいだ。11年に地元紙『ロサンゼルス・タイムズ』が「ロサンゼルスの最も偉大なスポーツ関係者」を選定した際、スカリーはサンディ・コーファックス(60年代のドジャースの大エース)、マジック・ジョンソン(NBAレイカーズのスーパースター)に次ぐ3位にランクインした。

 史上最高のアイスホッケー選手ウェイン・グレツキーや、ドジャースの名物監督トミー・ラソーダ以上に、ロサンゼルスのスポーツシーンにおける重要人物だと認められたのである。16年、ドジャースはドジャー・スタジアムの住所を「1000 Vin Scully Avenue」と改称した。この事実が、彼の存在の大きさを雄弁に物語っている。
 
 スカリーがこれだけ評価されているのは、単に長い間アナウンサーを務めたからではなく、当然それだけの理由がある。アメリカのスポーツ実況というと、大声で叫んだり奇抜なフレーズを乱発したりするというイメージを抱く向きも多かろう。

 だが、スカリーはそうではなかった。緊迫した場面では必要最小限の言葉しか発さず、時にはまったく言葉を差し挟まないことで、かえって臨場感を醸し出した。語彙が不足していたり、臨機応変に対処したりできなかったわけではもちろんなく、その方が効果的だと知っていたのだ。

「放送ブース内のシェイクスピア」と表現されたこともあったように、野球に限らず幅広い分野の知識や蘊蓄を、必要に応じて実況に盛り込むのも得意だった。他のアナウンサーと一線を画す唯一無二の実況スタイルもまた、スカリーの大きな特徴だった。

 16年を最後に89歳で引退。翌17年、ドジャースが29年ぶりにワールドシリーズへ進出すると、彼のカムバックを切望する声がファンだけでなく同業者の間からも沸き上がった。だが、安易に受け入れることなく固辞したあたりが、いかにもスカリーらしかった。その代わり、20年にドジャースが世界一になった際には、公式ドキュメンタリーでナレーションを務めている。

 さるドジャースファンは、スカリーの魅力について「彼の声を聞いていれば、目の前にありありとその光景が描かれるから、映像なんて要らないんだ」と述べていた。彼がどれほど優れた技量の持ち主だったかを、完璧に表現した言葉だろう。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
 
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