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MLB

【MLBから何を学んだか】「僕はイチローさんや大谷くんとは違う」岩村明憲がつかんだ独自のサクセス・ストーリー<SLUGGER>

氏原英明

2022.08.21

 当時のデビルレイズは再建期。後にMLB屈指の三塁手へと成長するエバン・ロンゴリアらが、トップ・プロスペクトとしてマイナーに控えていた時期だった。

 そんなチーム事情から、終盤には岩村の立ち位置にも変化が訪れる。シーズン最終戦となった162試合目、スタメン表を見るといつもとは違うポジションが提示されていた。

「ポジション番号が『4』と書いてあって、何かの間違いじゃないのかと思ったんですよ。そしたら、ジョー(・マッドン監督)に呼ばれ、『来年から三塁はロンゴリアが守る。アキは二塁に回ってほしい』と言われたんです」

 それまで、二塁の練習などしていなかった。しかもその日はもともと、選手たちの疲労を考慮して試合前練習が休み。岩村はぶっつけ本番で二塁を守った。

「セカンドは中学の時以来、守ったことがなかった。練習がないから、誰もいないところでコーチにノックを打ってもらいました。最終戦ですよ。もうすぐ日本に帰れると思っていたので、『なんでこんなことせなあかんねん』と思いながら、やっていましたね」
 
 ただ、それでも岩村は急なコンバートを受け入れた。ヤクルト時代の03年にベテラン選手を三塁で使いたいからと外野へのコンバートを打診された時、「3年連続ゴールデン・クラブですよ(注:00~02年に受賞。その後04~06年にも受賞している)。なんで、僕が譲らないといけないのか。外野やるくらいなら野球をやめる」と受け入れなかった男が、だ。

 この時は新聞にも大きく報じられるほど頑なに拒否したのに、メジャーに舞台を移した後は素直に首脳陣からの打診を受け入れた。それもすべては、岩村がアメリカの舞台で「あること」を学んだからだ。

「やるかやらないかって言ったらやるしかないんです。最低限のプライドはあるかもしれないけど、『変なプライド』っていう言葉に片付けられるような程度なら捨てた方が楽です。それができた時に、初めていろんなものが吸収できるようになります」

 バッティングのスタイルも日本時代から変えた。ヤクルト時代の岩村はホームランを量産したが、その代償として三振も多かった。ところがメジャーではコンタクト重視の打撃スタイルに変更し、勝つために何でも受け入れるという意欲を見せた。

「意図的にこう変えようと取り組んできたわけじゃなく、チームに何が必要かっていうのを自分の中で見つけていったうちに、そういうスタイルになりました。ホームランはそこまで打てない。打てないんであれば、三振は減らして塁に出る確率を上げる。相手が嫌だと思うようなプレーをしていく必要があるということですよね。そうしていくうちに、プレーの幅が広がっていきました」
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