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プロ野球

近鉄からのドラフト1位指名を拒否――福留孝介は「パ・リーグ不遇の時代」最後の象徴だった<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2022.09.14

 不思議なことに、福留と佐々木の縁はその後も形を変えて続いていくことになった。

 96年のアトランタ五輪に出場するなど日本生命でも活躍を続けた福留は、98年ドラフトでも再び目玉選手となった。当時はまだ逆指名制度が存在していたため、意中の中日を逆指名して1位でプロ入り。1年目こそ遊撃のレギュラーとして132試合に出場し、打率.284、16本塁打でリーグ優勝に貢献したが、2年目と3年目は打撃成績が停滞。守備でも遊撃失格の烙印を押され、外野へのコンバートが決まった。

 苦境に立っていた福留を助けたのが、かつて自身が袖にした佐々木だった。99年限りで近鉄の監督を退任した佐々木は、02年から中日の一軍打撃コーチに就任。福留を“復活”させるべくマンツーマンで指導を行い、打撃フォームを一から作り直した。
 
 その結果、福留は大きく飛躍する。シーズンを通して3番を打ち、打率.343、19本塁打、OPS.943の好成績。この年は松井秀喜(巨人)が三冠王目前の大活躍を見せたが、福留は松井に約1分の差をつけて首位打者を獲得した。福留がスーパースターになるための礎を築いたのは佐々木だった、と言っても決して過言ではないだろう。

 佐々木は翌03年限りで中日を退団したが、その後も恩師との交流は今に至るまで続いている。カブス時代には臨時コーチとして指導したこともあった。日本復帰の際にも、阪神から自由契約となった際にも、そして、引退を決めた際にも、福留は佐々木に欠かさず連絡を入れている。

 気付けば、佐々木が「ヨッシャー!」と叫んでから27年。福留が日米で輝かしい実績を築き、そしてそのキャリアに終止符を打つ間に、ドラフトも大きく様変わりしたのだ。

構成●SLUGGER編集部
 

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