▼ファームの三冠王たち
二軍にも一軍と同様、首位打者、本塁打王、打点王のタイトルは存在している。過去に二軍で三冠王になった選手はイースタン、ウエスタン合わせて計6人いるが、中でも特筆すべき2人の選手を紹介しよう。
77年、庄司智久(巨人)がイースタン・リーグで空前絶後の大記録を達成した。打率.344、10本塁打、54打点がいずれもリーグ1位だっただけでなく、46盗塁もトップ。一軍では今に至るまで達成がない“四冠王”になったのである。
逆に言えば、これだけの快挙を達成しても一軍に昇格すらできないほど、当時の巨人の外野は層が厚かった。結局、庄司は巨人ではチャンスをつかめないまま、79年オフにトレードでロッテへ移籍。新天地で「1番・レフト」の定位置を得るなど躍動し、81年にはプロ10年目にして初のオールスター出場も果たした。
一軍で2年連続三冠王に輝いたのは73~74年の王、85~86年の落合博満(ロッテ)&バースと3人いるが、史上4人目は二軍で出ている。00~01年にイースタンの三冠を独占したコーリー・ポール(西武)だ。特に01年は、いずれも当時の二軍最多記録となる27本塁打&95打点という圧倒的な成績を残している。
これだけ打ちまくってもなぜ一軍に呼ばれなかったのかと言えば、当時の西武の野手の外国人枠は、アレックス・カブレラとスコット・マクレーンの“ツインバズーカ”で埋まっていたからだ(当時は投手・野手それぞれ2人までという制限があった)。01年には2人合わせて88本塁打を量産した両主砲がいては、ポールの出番などなかったというわけである。
▼阪神は三冠王助っ人の両取りを狙っていた?
助っ人外国人の三冠王はこれまでに2人しかいない。1984年のブーマー(阪急/現オリックス)と、85~86年のバース(阪神)である。中でもバースは阪神史上最高の助っ人との呼び声も高いが、実はブーマーと同じく阪急に入団するかもしれなかった……という話はご存じだろうか?
2人の日本球界入りは、ともに82年オフのことである。特に当時レンジャーズの3Aにいたバースは、「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と言われるほど圧倒的なパワーを誇り、阪神だけでなくヤクルト、そして阪急も争奪戦に参加していた。当初はヤクルトが濃厚とも言われていたが、一塁に大杉勝男や杉浦亨らがいたこともあり撤退。その後は阪神と阪急の間で契約金の釣り上げ合戦に発展した。
阪急はその一方で、ツインズの3Aにいたブーマーとも交渉していた。マイナーでの活躍ぶりはブーマーも遜色がなく、かつ条件はバースより安いとあって、阪急は方針を転換。かくして、バースは阪神が獲得することとなった。
なお、ブーマーのことは阪神もリストアップしていたという。ともに一塁手だったので同一チーム入団は幻に終わったが、もしポジションが違っていたら、阪急か阪神のどちらかで、ブーマー&バースの超強力クリーンナップが実現していたかもしれない。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
二軍にも一軍と同様、首位打者、本塁打王、打点王のタイトルは存在している。過去に二軍で三冠王になった選手はイースタン、ウエスタン合わせて計6人いるが、中でも特筆すべき2人の選手を紹介しよう。
77年、庄司智久(巨人)がイースタン・リーグで空前絶後の大記録を達成した。打率.344、10本塁打、54打点がいずれもリーグ1位だっただけでなく、46盗塁もトップ。一軍では今に至るまで達成がない“四冠王”になったのである。
逆に言えば、これだけの快挙を達成しても一軍に昇格すらできないほど、当時の巨人の外野は層が厚かった。結局、庄司は巨人ではチャンスをつかめないまま、79年オフにトレードでロッテへ移籍。新天地で「1番・レフト」の定位置を得るなど躍動し、81年にはプロ10年目にして初のオールスター出場も果たした。
一軍で2年連続三冠王に輝いたのは73~74年の王、85~86年の落合博満(ロッテ)&バースと3人いるが、史上4人目は二軍で出ている。00~01年にイースタンの三冠を独占したコーリー・ポール(西武)だ。特に01年は、いずれも当時の二軍最多記録となる27本塁打&95打点という圧倒的な成績を残している。
これだけ打ちまくってもなぜ一軍に呼ばれなかったのかと言えば、当時の西武の野手の外国人枠は、アレックス・カブレラとスコット・マクレーンの“ツインバズーカ”で埋まっていたからだ(当時は投手・野手それぞれ2人までという制限があった)。01年には2人合わせて88本塁打を量産した両主砲がいては、ポールの出番などなかったというわけである。
▼阪神は三冠王助っ人の両取りを狙っていた?
助っ人外国人の三冠王はこれまでに2人しかいない。1984年のブーマー(阪急/現オリックス)と、85~86年のバース(阪神)である。中でもバースは阪神史上最高の助っ人との呼び声も高いが、実はブーマーと同じく阪急に入団するかもしれなかった……という話はご存じだろうか?
2人の日本球界入りは、ともに82年オフのことである。特に当時レンジャーズの3Aにいたバースは、「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と言われるほど圧倒的なパワーを誇り、阪神だけでなくヤクルト、そして阪急も争奪戦に参加していた。当初はヤクルトが濃厚とも言われていたが、一塁に大杉勝男や杉浦亨らがいたこともあり撤退。その後は阪神と阪急の間で契約金の釣り上げ合戦に発展した。
阪急はその一方で、ツインズの3Aにいたブーマーとも交渉していた。マイナーでの活躍ぶりはブーマーも遜色がなく、かつ条件はバースより安いとあって、阪急は方針を転換。かくして、バースは阪神が獲得することとなった。
なお、ブーマーのことは阪神もリストアップしていたという。ともに一塁手だったので同一チーム入団は幻に終わったが、もしポジションが違っていたら、阪急か阪神のどちらかで、ブーマー&バースの超強力クリーンナップが実現していたかもしれない。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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