もしかしたら野村は、甲斐と自分の共通点に、早くから注目していたのかもしれない。だからこそ、まだブレイクしたての若手に、しかも初対面で背番号19の“禅譲”を持ちかけたのではないか。そこには甲斐に対するエールの意味合いもあったのかもしれない。
野村がレギュラーに定着したのは3年目、56年のことだった。南海はシーズン前にハワイで春季キャンプを張り、そこで当時の山本(鶴岡)一人監督に認められてレギュラーに抜擢されたのである。滅多に選手を誉めないことで有名だった山本監督が、キャンプ終了後に「(キャンプの)ただ一つの収穫は、野村が使えるメドが立ったことだ」と野村を誉めた。直接ではなく新聞に載ったコメントだったが、野村は今もそれを覚えているという。
楽天時代にボヤキ節が有名だった通り、野村も滅多に選手を誉めない。解説者としても選手を酷評するコメントの方が目立つ。そんな野村に「自分の背番号をつけて欲しい」と言われたことが、どれだけ甲斐の励みになったことだろうか。今回の背番号禅譲劇は、境遇の似た後輩に対する野村のこれ以上ない“親心”のようなものに違いない。
甲斐は19を背負うことに、「大丈夫だろうかという戸惑いもある」と語る。当然だろう。あまりにも偉大過ぎる先輩の背番号を、同じ捕手として背負うことの重圧は想像を絶する。だが同時に、「野村さんの思いに応えられるような姿を見せたい」ともいう。野村の“親心”を、甲斐はちゃんと受け取っている。
すでに「リーグを代表する名捕手」にはなった。次は、野村と肩を並べる「球史に残る名捕手」になる番だ。
文●筒居一孝(スラッガー編集部)