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プロ野球

あの"ノムさん"がクビになりかけていた!? 史上最大の給料ダウンは誰?「プロ野球契約更改の“事件簿”4選」

2019.11.30

1965年、戦後初の三冠王に輝き万歳する野村。だが、クビになっていたらこの喜びもなかった…。写真:朝日新聞社

1965年、戦後初の三冠王に輝き万歳する野村。だが、クビになっていたらこの喜びもなかった…。写真:朝日新聞社

▼「史上最大の昇給」事件&「史上最大の減俸」事件

 28日には巨人の高木京介が球団史上初の500%アップということで話題になったが、過去にはそれ以上に給料が大幅アップした選手は何人もいる。たとえば今年引退したイチローは、史上初の200安打を放ってブレイクした94年オフ、年俸が800万から8000万と10倍に。アップ率にすると900%増だった。

 だが、イチローよりも上回るのが2009年の福盛和男(楽天)。メジャー挑戦を経てテスト入団で楽天へ復帰した福盛はこの年7勝10セーブ、防御率2.18の活躍でチーム史上初のCS進出に貢献。年俸も440万円から一気に5000万円まで上がり、アップ率1036%は現在も史上最高記録である。

 逆に史上最大のダウン率を記録したのが、07年の中村紀洋(オリックス)。近鉄時代は本塁打王も獲得したことのあるメジャー帰りの大砲は、この年は故障に苦しみ、打率.232、12本塁打の成績に終わった。球団は2億円から60%減の8000万円を提示したが、中村はこれを拒否して退団。結局育成枠で中日に入団することとなったが、年俸はわずか400万円で、実に98%ものダウンとなった。
 

▼「クビになるなら自殺します」事件&「給料はいらないから野球を続けさせてくれ」事件

 選手としても監督としても、数々の実績を誇る“ノムさん”こと野村克也だが、54年に南海ホークスに入団した時はテスト生で、契約金はゼロ。しかも1年目オフにいきなりクビになりかけている。

 この時は「ここでクビになるなら、南海電鉄に飛び込んで死にます!」とまで言ってなんとか残留。球団側は「お前はプロじゃ活躍できない。人生をやり直すなら若いうちだぞ」と呆れ顔だったそうだが、幸いなことにその予測は見事に外れた。

 また、阪神で万年控えだったにも関わらず絶大な人気を誇った“浪速の春団治”川藤幸三も、わずか7安打に終わった83年オフにクビ宣告を受けている。この時は「給料はいらんから野球を続けさせてくれ!」と懇願。さすがに給料ゼロというわけにはいかず、60%ダウンの480万円で更改。

 チームが日本一に輝いた85年にも「ここらでどうや」と引退勧告を受けたが、「もう1年続けさせてください」と25%減の900万円で更改。翌86年は監督推薦でオールスターにも出場し、それを花道にこの年限りで引退した。

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