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高校野球

甲子園優勝2回の名将、日大三高・小倉全由監督が勇退。20年以上の取材を重ねた記者が綴る勝負師の知られざる素顔

矢崎良一

2023.02.09

どんな時も選手ファーストだった小倉監督にとって、妻との時間はかけがえのないものだった。写真:アフロ

どんな時も選手ファーストだった小倉監督にとって、妻との時間はかけがえのないものだった。写真:アフロ

 小倉監督の取材はもう20年以上になるが、どの時代も常に「選手たちが」という言葉が先に出て来る指導者だった。

 ノックやトレーニングで厳しく追い込みながらも、基本は褒めて伸ばす指導スタイルで、グラウンドにはいつも“活気”があった。昨今、高校野球では残念な不祥事が相次いでいる。「難しい時代」と言ってしまえばそれまでだが、それでも20年以上も変わらずに選手との絆を築き続ける小倉監督の姿を見るにつけ、新進気鋭の指導者たちもまだ学ぶべきところはたくさんあるはずと感じていた。チームの勝敗に関係なく、高校野球における一つの教科書のような存在だった。

 電話での会話は思い出話になった。小倉監督は「自分より実績のある監督はたくさんいるけども、自分は日本で一番幸せな監督だったんじゃないかな」と何度も口にした。たしかに選手だけでなく、内助の功にも恵まれた。

 小倉監督は「あの“120km”がよかったんですよ」と言う。120kmとは、東京都町田市にある日大三高のグラウンドと、千葉県九十九里にある小倉監督のご自宅との距離を指す。日頃、家族と離れ合宿所で選手と寝食を共にする小倉監督は、日曜日の練習が終わると九十九里の自宅に車を飛ばして帰り、練習休みの月曜日を自宅で奥様と過ごし、リフレッシュして火曜日にグラウンドに戻ってくる。

「そんな自分勝手な生活を、ずーっと長いことやってこれたのも、理解してくれたカミさんの存在があったからなんですよ」
 
 小倉監督はてらいもなくそう言う。奥様は、私にとっても「素敵な九十九里のお母さん」だった。厚かましい私は、取材にかこつけて九十九里のご自宅にも何度かお邪魔したことがある。ときには早い時間から出掛けていき、お孫さんや愛犬と戯れながら小倉監督の帰宅を待ち、夕食を御馳走になったうえに、夜が更けるまでしゃべくり続け、収穫したばかりの大量のお米までお土産にいただいて九十九里を後にしたものだ。本当に非常識で、さぞご迷惑だったろう。

 何年か前、小倉監督の教え子の一人で、大学卒業後に日大三高で指導者修行し現在は神奈川県の向上高校の野球部でコーチを務める工藤洋平さんの結婚式に呼んでいただいた折り、小倉監督はご夫婦で主賓として招待されていた。

 当然、お二人の周りには人が絶えない。その頃、何年もご無沙汰して不義理をしていた私はなかなか自分から挨拶もできずにいたのだが、奥様がわざわざこちらのテーブルまで足を運ばれ、「元気でお過ごしですか?」と声を掛けていただいた。小倉監督以上に気遣いの人なのだ。私はイタズラを見つかった小学生のように恐縮したのを覚えている。

 そんな奥様と、最近は昔の選手やチームを思い出しては、「あのとき、こんなことがあったよなぁ」と二人で楽しく話すことが多くなっていたという小倉監督。あらためて、こんなことを言っていた。

「これがもし、いつでも行ったり来たりできるような学校の近くに家族で引っ越したりしていたら、自分なんかは野球べったりになっちゃって、かえってダメだったと思うんですよ。週に一度でも、帰ったらカミさんの買い物の付き合いでスーパーに行って荷物を持たされたり、そういう時間があったから自分はいつも新鮮な気持ちで野球を頑張れていた気がします」

 120kmは、小倉監督にとって貴重なマインドセットの空間だったのだ。
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