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【WBCプレイバック】大谷翔平×マイク・トラウト――偶然と奇跡が生んだ“世紀の対決”:前編<SLUGGER>

出野哲也

2023.12.29

 一方、大谷のWBC出場表明は22年11月だった。声明で大谷は「栗山(英樹)監督に出場する意思がある旨を伝えさせていただきました。各国の素晴らしい選手や5年ぶりに日本のファンの皆様の前で野球ができるのを楽しみにしています」と抱負を語った。

 ただ、それまでは大谷の参加を疑問視する声も聞かれていた。23年はフリー・エージェントになる前の最後の年であり、故障のリスクをできるだけ避けたいはず、というのがその根拠。出るとしても打者のみ、あるいは投手としてはリリーフだけになるのでは……との観測もあった。

 しかし、大谷にとってWBCに出ないという選択肢はあり得ず、出るからには二刀流として先発マウンドに上がるのも当然だった。

 日本ハム時代の16年、大谷は10勝、防御率1.86/打率.322、22本塁打の活躍でMVPを受賞。クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦ではリリーフで登板し、当時の日本球界最速となる165キロを連発して胴上げ投手になり、日本シリーズも制した。同年秋には日本代表の強化試合に出場、翌年春のWBCでは主力として期待されていた。
 ところが17年の春季キャンプ直前、代表入りを辞退する。強化試合で痛めた右足首の状態が思わしくなかったためだった。翌18年に渡米し、21年の東京五輪も不参加。初めての大きな国際大会、そして7年ぶりに経験できる、競争心が刺激される機会を逃すわけにはいかなかった。

 代表監督が日本ハム時代の恩師だったことも後押しになった。「誰が監督でも出たい」と言っていたのは本音であっても「決断しやすさは栗山監督だったからこそ」もまた本音。二刀流の起用法を誰より熟知している指揮官であったのが、WBCに心置きなく臨め
る理由でもあった。

 そもそも、第5回WBCは、本来であれば21年春に開催される予定だった。しかし、20年に新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、2年延期が決定。その年、大谷は投手としては登板2試合、打者としても44試合で打率.190、7本塁打という、プロ人生で最悪レベルのスランプに陥った。この成績では21年にWBCが実施されても、それよりキャンプでしっかり調整するようエンジェルスから求められたはずだし、本人も大手を振って出られはしなかっただろう。あの大災厄さえも、大谷とトラウトの対決の伏線になっていたのだ。
※後編へ続く

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。

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