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高校野球

「これでは、勝てない」名門・横浜高野球部に生まれた変化... 昨秋から公式戦15連勝、春センバツ優勝候補筆頭の『未来予想図』は実現するか

大友良行

2025.02.04

俊足巧打でプロも注目する主将の阿部葉太。写真:大友良行

俊足巧打でプロも注目する主将の阿部葉太。写真:大友良行

 村田監督は生徒とのコミュニケーションを大切にしている。

 その中で、野球への取り組み方、野球以外の生活、特に食生活、健康管理なども伝えて意思疎通を図っている。
 
 監督一人では、目指す“横浜一強時代”に辿りつくのは難しい。村田野球を「理解、手助け」してくれる人材が必要だった。「野球だけなら優秀なOBの方も沢山いらっしゃいますが、教員資格も必要だと思います」。

 村田監督が目指す、“横浜一強時代”への取り組みがスタートした。

 そこで真っ先に高山大輝コーチ(32)に部長役を依頼した。中学時代は瀬戸シニア(愛知)。そこから横高の門を叩き、創価大へ進み活躍。就職は航空自衛隊千歳へ。2010年からコーチとして横高に戻り地理、公民授業を担当。「時には厳しく、時には生徒に寄り添って」のポリシーで指導している。

 村田監督からの信頼も厚く、グラウンド内外でのチーム運営のすべてを任されている。

 また、横高OBで、その昔は甲子園投手だった実績を持つ名塚徹特別顧問(65)は、野球部にはいなくてはならない存在だ。卒業後は国学院大から弥栄西、希望ケ丘、霧が丘で野球に携わり、2005年から10年間も県高野連専務理事を勤め上げた重鎮で、母校・横浜に戻って国語の授業を続けながら野球部を支える。

 村田監督はさらに考えた。「横高は強いのが当たり前」という風潮が選手や周囲にもあった点を指摘。改善しよう。OBにこだわることはない。広く外部からの指導者にも声をかけた。「新しい爽やかな風で、チーム活性化を図りたい」と願う趣旨に賛同してくれる他校の指導者を募った。

 そんな時に出会ったのが、まず渡辺陽介コーチ(44)。北九州の北筑高(福岡)のショートを守り、チームの要として活躍。大学は日本体育大、卒業してからは、特別養護学校→川崎北→田奈→川崎工科で体育を教えながら部長、監督をしていた。横高の募集を知って挑戦、合格。2023年から横高の体育教師。野球部のBチームを見ている。ちなみに、北筑高はシカゴ・カブスの今永昇太の出身校だ。

“村田体制”を支える最終兵器は、小山内(おさない)一平コーチ(50)だ。高校は釜利谷高(神奈川)でバレーボールの選手として県代表にも選ばれるほどの名プレーヤーだった。

 しかし、野球がやりたくて高校2年でバレーを止め、野球にシフトチェンジしたが、時すでに遅し。ならばと、高校卒業と同時になんのルートもない米国へ。

 レベルの差こそあれ、米国には本場だけに星の数ほど多い。片っ端から練習参加と入団テストを受けまくったが、何しろ自己流の野球なので簡単にOKは出なかった。練習手伝いのアルバイト要員としてグラウンドを走りまくって鍛えた。そんなことで7年間米国野球界を渡り歩いたが、ついに諦めて帰国。27歳で一般学生として帝京平成大に入り、32歳で卒業。地域貢献と社会福祉の仕事に就くための資格も取得した。

 金沢区にある知的障がい者の福祉施設や、大磯の児童自立支援施設で子供たちの面倒をみた。

 異動があり川崎の大師高で部長、監督をしていた時に澤田貫太投手(東日本国際大)が入学、140キロ越えを投げるようになりプロに注目されるまでに育て上げた。「投手を育てるのが巧い」と評判になっていた。

「横高で誰かいないか」と募集していることを知り、すぐに応募してみた。50歳だからダメかなと思っていたのに、「来てください」の連絡。保健体育を受け持ちながら投手陣と、中学生のスカウトを担当している。

 渡辺、小山内両コーチも公務員資格を捨ててまでの就任だ。迷いはなかったのだろうか?
「かなり迷いました。でもこの世界でやるなら、一度は野球レベルの高い生徒たちの指導をしてみたかった。技術を覚えるのも早いし、野球悩もあるし成長度が早い。教えていて楽しいです」

 そう彼らは声を揃えた。
 
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