リグリー・フィールドは1914年3月開場のメジャーで2番目に古い球場(最も古い球場は、その2年前に建てられたレッドソックスのフェンウェイ・パークだ)で、アメリカの国定歴史建造物にも指定され、文化遺産として守られている。
それほど価値のあるボールパークだが、カブスのオーナーでリグリー・チューインガムの創業者であったフィリップ・K・リグリー氏が、「野球は太陽の下で行うもの」という主張の持ち主で、長年(88年まで)ナイター用の照明が設置されなかった。
ナイター設備が長年なかったのには、実は他にもいろいろ理由があったそうだが(周辺住民の迷惑を考えて……とか)、私はこの美しい球場を見た途端、なるほど野球というスポーツは、昼間の太陽の下でやるものだなあ……とつくづく納得したのだった。
“リグリー・ルーフトップ”は、カブスやリグリー・フィールドとはまったく関係なく、チケットはビルのオーナーや管理会社が販売している。私がそこに入ることができたのは、97年製作のドキュメンタリー『ボールパークへ連れてって!』というNHKの番組に出演できたおかげで、その時は上田早苗アナウンサーと一緒に訪れたのだった。
その日、ルーフトップを借り切っていて、我々の取材を快く受け入れてくれたのは、シカゴ弁護士会の約30人の若手グループだった。彼らはBBQをしながら観戦していたのだが、材料や食器類は持ち込み、ビールや飲み物は場所を提供しているビルから必要なだけを購入。コンロや燃料は、あらかじめビル側が用意したもの2台を自由に使うことができ、費用は酒代別で一人100ドルだとか。まぁまぁリーズナブルな値段かな……と感じたことを今も覚えている。何しろ、世界一美しいボールパークを間近に見下ろし、ビールとステーキを味わいながらベースボールまで楽しめるのだから……。
今なら鈴木誠也や今永昇太もいるし、ぜひとももう一度訪れたいところだが、当時この場所はたしか20人以上の団体のみの受付。しかもシカゴ市内の団体からの予約申し込みが殺到していて、海外からのツアー客は受け入れていなかったという。
その事情は、私が訪れてから30年近く経った今も、残念ながら変わってないのだろうなあ……と思っていたら、何と! 2017年に球場が改修された際、“リグリー・ルーフトップ”が存在するいくつかのビルが解体されていた。だがその代わり、残されたリグリー・フィールドの見渡せる11棟のビルの屋上の権利を、球場も加わって一括管理されるようになったという。つまり、誰もが(つまり日本からも!)この最高の座席を購入できるようになったらしい。興味のある人は、ホームページなどから確認してみてほしい。
文●玉木正之
【著者プロフィール】 たまき・まさゆき。1952年生まれ。東京大学教養学部中退。在学中から東京新聞、雑誌『GORO』『平凡パンチ』などで執筆を開始。日本で初めてスポーツライターを名乗る。現在の肩書きは、スポーツ文化評論家・音楽評論家。日本経済新聞や雑誌『ZAITEN』『スポーツゴジラ』等で執筆活動を続け、BSフジ『プライムニュース』等でコメンテーターとして出演。主な書籍は『スポーツは何か』(講談社現代新書)『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)など。訳書にR・ホワイティング『和を以て日本となす』(角川文庫)ほか。
それほど価値のあるボールパークだが、カブスのオーナーでリグリー・チューインガムの創業者であったフィリップ・K・リグリー氏が、「野球は太陽の下で行うもの」という主張の持ち主で、長年(88年まで)ナイター用の照明が設置されなかった。
ナイター設備が長年なかったのには、実は他にもいろいろ理由があったそうだが(周辺住民の迷惑を考えて……とか)、私はこの美しい球場を見た途端、なるほど野球というスポーツは、昼間の太陽の下でやるものだなあ……とつくづく納得したのだった。
“リグリー・ルーフトップ”は、カブスやリグリー・フィールドとはまったく関係なく、チケットはビルのオーナーや管理会社が販売している。私がそこに入ることができたのは、97年製作のドキュメンタリー『ボールパークへ連れてって!』というNHKの番組に出演できたおかげで、その時は上田早苗アナウンサーと一緒に訪れたのだった。
その日、ルーフトップを借り切っていて、我々の取材を快く受け入れてくれたのは、シカゴ弁護士会の約30人の若手グループだった。彼らはBBQをしながら観戦していたのだが、材料や食器類は持ち込み、ビールや飲み物は場所を提供しているビルから必要なだけを購入。コンロや燃料は、あらかじめビル側が用意したもの2台を自由に使うことができ、費用は酒代別で一人100ドルだとか。まぁまぁリーズナブルな値段かな……と感じたことを今も覚えている。何しろ、世界一美しいボールパークを間近に見下ろし、ビールとステーキを味わいながらベースボールまで楽しめるのだから……。
今なら鈴木誠也や今永昇太もいるし、ぜひとももう一度訪れたいところだが、当時この場所はたしか20人以上の団体のみの受付。しかもシカゴ市内の団体からの予約申し込みが殺到していて、海外からのツアー客は受け入れていなかったという。
その事情は、私が訪れてから30年近く経った今も、残念ながら変わってないのだろうなあ……と思っていたら、何と! 2017年に球場が改修された際、“リグリー・ルーフトップ”が存在するいくつかのビルが解体されていた。だがその代わり、残されたリグリー・フィールドの見渡せる11棟のビルの屋上の権利を、球場も加わって一括管理されるようになったという。つまり、誰もが(つまり日本からも!)この最高の座席を購入できるようになったらしい。興味のある人は、ホームページなどから確認してみてほしい。
文●玉木正之
【著者プロフィール】 たまき・まさゆき。1952年生まれ。東京大学教養学部中退。在学中から東京新聞、雑誌『GORO』『平凡パンチ』などで執筆を開始。日本で初めてスポーツライターを名乗る。現在の肩書きは、スポーツ文化評論家・音楽評論家。日本経済新聞や雑誌『ZAITEN』『スポーツゴジラ』等で執筆活動を続け、BSフジ『プライムニュース』等でコメンテーターとして出演。主な書籍は『スポーツは何か』(講談社現代新書)『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)など。訳書にR・ホワイティング『和を以て日本となす』(角川文庫)ほか。
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