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プロ野球

特攻で空に散った石丸進一、波間に消えた沢村栄治...戦争で命を落とした野球選手たち

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.08.15

 佐賀商高のエースだった石丸は、先に名古屋軍に入団していた8歳年上の兄・藤吉の推薦で入団。42年にはチーム全体の勝ち星39の4割以上にあたる17勝を一人で稼いだ。翌43年はノーヒットノーランも達成している。

 だが、兵役逃れのためにプロ野球選手の傍ら日大の夜間部に籍を置いていたことが災いして、44年に学徒動員で徴兵されてしまう。45年、戦況の悪化に伴い自ら特攻隊へ志願。出撃する前に“最後のキャッチボール”を行った逸話は有名で、作家・山岡荘八も従軍記者としてこの場面に立ち会っている。同年5月11日、鹿児島県の鹿屋基地から出撃し、そのまま帰らなかった。

 渡辺もやはり学徒動員で戦場へ送られた。石丸と同じ投手登録だったが登板はなく、代打で2打席に立って1三振、併殺打1という結果で選手としての成績のすべて。石丸が亡くなって1ヵ月後の45年6月6日、鹿児島県の知覧基地から出撃し、連合軍の艦隊に突入して壮絶な玉砕を遂げた。石丸も渡辺も、享年22歳だった。
 
 なお、プロには進まなかったため鎮魂の碑に名前は刻まれていないが、戦争で命を落とした中等学校野球(現在の高校野球)、大学野球、実業団野球(現在の社会人野球)の選手はまだまだいる。彼らの名は、東京ドームの野球殿堂博物館内にある『戦没野球人モニュメント』に顕彰されている。

 その中には、39年夏の甲子園の準決勝・決勝で2試合連続ノーヒットノーランの離れ業をやってのけた嶋清一の名前もある。海草中(現向陽高)卒業後、明治大に在籍していた嶋は、43年に学徒動員で徴兵された。そして45年3月29日、シンガポールから日本へ物資を運ぶ輸送任務の最中、ベトナム沖で乗艦が撃沈され、24歳で帰らぬ人となった。彼をはじめ、『戦没野球人モニュメント』に刻まれた名前は167人にも上る。

 終戦から75年が経過し、我々は今、平和な時代の中で野球を楽しむことができている。だが、かつて戦争に翻弄されて若い命を落とした選手たちが数多くいることを改めて胸にとどめておきたい。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
 

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