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プロ野球

【プロ野球トレード収支の大検証:第2回】“ミスター・タイガース”田淵と引き換えに、西武から“史上最強の1番”真弓を得た阪神のマル得トレード

出野哲也

2021.01.01

<西武>田淵の貢献度は印象ほどではなかった?
 西武においては、田淵は捕手でなく、一塁手や指名打者で起用された。移籍1年目からチーム最多の27本塁打と長打力は期待通りだったが、出塁率は.333でPV1.8どまり。翌80年はリーグ3位の43本塁打、97打点と好成績だったように映るが、それでもPVは4.5。この年のパ・リーグは飛ぶボールと高反発バットの影響により、極端な打撃優位であったこと、指名打者での出場が大半だったことが、PVが伸びなかった理由だった。さらに81年は、キャリア初のマイナスとなる-6.2。続く82年も25本塁打は放ったものの、.218の低打率で-4.8に終わった。

 83年は開幕から本塁打を量産。死球による故障で82試合にしか出られなかったが、打率.293、30本塁打と久々に好成績を残し、PVは18.6まで回復した。だが、翌84年は打率.230、14本塁打でPV-13.6に転落し、同年限りで引退した。西武では6年間で154本塁打を放ちながら、合計PVは0.3とわずかなプラスに終わった。ともに移籍した古沢も、西武には3年間在籍して8勝24敗16セーブ、PVは-16.5で、82年に高橋直樹とのトレードで広島へ去っている。
 
 さらに西武は、放出した真弓や若菜らの穴埋めも、うまくいかなかった。若菜に代わる捕手として79年にメインで起用されたのは、44歳の野村克也で、PVは-5.4。他にも田淵を含めて6人が先発で使われるほど、捕手の固定には苦労した。真弓の後釜の遊撃には、前半戦は大原徹也、後半戦は行沢久隆を起用したが、PVはそれぞれ-11.7、-9.8。阪神で飛躍した真弓との差は開くばかりだった。81年にドラフト1位で石毛宏典が入団し、即戦力として活躍し始めたために、真弓の放出による損失は79・80年の2年だけで済んだ。だが若菜の穴は、伊東勤が83年に正捕手となるまで埋められずにいた。

 全国的な人気選手であった田淵は、新生ライオンズの広告塔としての役割は十分果たした。西武球団を早期に軌道に乗せるには、実力はあっても無名の真弓や若菜より、田淵や野村の方が効果的だったのは確かで、そうした観点ではトレードが失敗だったとは言えない。だが、代償として真弓を手放したのは損失が大きすぎたのも確かだった。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
 

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