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プロ野球

【プロ野球トレード収支の大検証:第4回】強打者・大豊がメインのはずが…“おまけ”の矢野が名捕手に成長

出野哲也

2021.01.03

<中日>数字的には大失敗だが…
 中日へ移った2人のうち、関川は外野に専念して98年は打率.285/出塁率.367、PV1.2。翌99年はリーグ2位の打率.330、PV13.8で優勝に貢献、ベストナインにも選出された。ここまではトレードは成功に思えたが、レギュラーで出場したのは2000年が最後。以後は尻すぼみで、中日在籍時の7年間の合計PVは-6.0だった。

 久慈は98年こそ正遊撃手として起用されたが、翌99年は福留孝介の加入で控えに回る。02年には9試合まで出場機会が減り、03年に大豊と同じく古巣の阪神へ戻った。中日での5年間の合計PVは-4.5。決して悪くないけれども、レギュラーで使ったのが1年だけでは獲得した意味は薄かった。

 一塁へ移った山崎は、98~2000年の3年間で合計73本塁打、PV26.3。阪神での大豊より良い数字だった。捕手は中村が01年までレギュラーを明け渡さず、02年にはFAで横浜から谷繁元信が加入。捕手が中日の弱点になることはなかったし、矢野が中日に残っていても出番が得られたかは分からない。
 
 それでも、矢野にこれだけ潜在的な能力があると分かっていたら、谷繁を獲得する必要はなかったし、その分の資金は他のポジションの補強に回せただろう。捕手で開花しなくとも、大学時代に経験のあった三塁や外野でも使えたはずで、放出が失敗だった事実は動かせない。

 では矢野が残っていて、阪神移籍後と同じ成績だったと仮定した場合、中日は優勝していただろうか。矢野がPV47.5だった03年、中日は阪神に14.5ゲーム差をつけられ2位。得失点差は阪神が+190、中日は+38で、矢野一人では埋めきれない差があった。同じく阪神に10ゲーム差の2位だった05年も、得失点差は阪神+198、中日+52。こちらも差が開きすぎており、PV18.5の矢野がいても優勝は難しかった。

 逆に優勝した99年は、矢野(11.7)より関川(13.8)の方がPVは上だった。このトレードは、数字上は大失敗でも優勝の行方を左右はしなかった。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。

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