<中日>ブライアントが残留していれば10.8決戦はなかった?
このトレードがあった88年に限れば、中日はリーグ優勝を達成しており、ブライアント放出の影響はなかった。だが、その後の中日は外国人打者で苦労し続ける。88年限りでゲーリーが退団、89年に入団したジョージ・ヒンショーは故障もあって53試合しか出られず。90年に獲得したバンスローは、メジャーでも実績のあった選手で打率.313、29本塁打、PV27.0の好成績を収めたものの、1年だけでメジャーへ戻ってしまった。もう一人の新外国人ベニー・ディステファーノは-8.6と大外れ。91年に打率.285、24本塁打、87打点でPV13.1だったマーク・ライアルも、翌92年は途中退団……といった具合で、長期間在籍して活躍する選手がいなかった。
ようやく92年途中に入団したアロンゾ・パウエルが、94年から3年連続首位打者に輝くなど活躍したが、それまでの3年半の間にブライアントがいたら・・・と思う中日ファンは少なくなかったに違いない。なお、90~92年に西武で3年連続本塁打王となったオレステス・デストラーデも「88年に中日から誘われたことがあった」と語っており、中日はブライアントと合わせ、のちに本塁打王になる大砲を2人も逃していたことになる。
ただ、89~90年は巨人が独走で優勝しており、ブライアントが中日にいても優勝は難しかっただろう。91年はブライアントが故障で63試合しか出ず、92年の中日は最下位。93年は首位ヤクルトに7ゲーム差の2位で、PV11.9のブライアントが加わっただけでは逆転は難しかった。
しかし、巨人との最終戦“10.8決戦”に敗れて1ゲーム差で届かなかった94年は、ブライアントがいたら優勝していた確率が高い。実はこの年、得失点差では中日が+54、巨人は+33で、21点も中日がリードしていた。さらに、しかも中日の外国人野手はパウエルとディオン・ジェームスで、打率.263、8本塁打、40打点のジェームスはPV-10.4。一方、この年のブライアントの成績は35本塁打106打点、PV13.7。ブライアントとジェームスが入れ替わっていれば、PVは24.1も増え、これをそのまま得失点差に反映させると、巨人との差は45点にまで広がっていたことになる。
ただし、セ・リーグではブライアントの守備についても考慮しなくてはならない。91年まではレフトの守備に就く機会のほうが多かったが、93年以降はDHに専念していたので、中日にいたら守備力は問題になっていたかもしれない。それでもなお打力によるプラスが上回ったと思われるが、守らせていたら故障が発生していた可能性もある。あくまで机上の計算ではブライアントがいれば、"10.8決戦"に臨むまでもなく中日が優勝したと考えられるが、実際はそう上手く運ばなかったかもしれない。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
このトレードがあった88年に限れば、中日はリーグ優勝を達成しており、ブライアント放出の影響はなかった。だが、その後の中日は外国人打者で苦労し続ける。88年限りでゲーリーが退団、89年に入団したジョージ・ヒンショーは故障もあって53試合しか出られず。90年に獲得したバンスローは、メジャーでも実績のあった選手で打率.313、29本塁打、PV27.0の好成績を収めたものの、1年だけでメジャーへ戻ってしまった。もう一人の新外国人ベニー・ディステファーノは-8.6と大外れ。91年に打率.285、24本塁打、87打点でPV13.1だったマーク・ライアルも、翌92年は途中退団……といった具合で、長期間在籍して活躍する選手がいなかった。
ようやく92年途中に入団したアロンゾ・パウエルが、94年から3年連続首位打者に輝くなど活躍したが、それまでの3年半の間にブライアントがいたら・・・と思う中日ファンは少なくなかったに違いない。なお、90~92年に西武で3年連続本塁打王となったオレステス・デストラーデも「88年に中日から誘われたことがあった」と語っており、中日はブライアントと合わせ、のちに本塁打王になる大砲を2人も逃していたことになる。
ただ、89~90年は巨人が独走で優勝しており、ブライアントが中日にいても優勝は難しかっただろう。91年はブライアントが故障で63試合しか出ず、92年の中日は最下位。93年は首位ヤクルトに7ゲーム差の2位で、PV11.9のブライアントが加わっただけでは逆転は難しかった。
しかし、巨人との最終戦“10.8決戦”に敗れて1ゲーム差で届かなかった94年は、ブライアントがいたら優勝していた確率が高い。実はこの年、得失点差では中日が+54、巨人は+33で、21点も中日がリードしていた。さらに、しかも中日の外国人野手はパウエルとディオン・ジェームスで、打率.263、8本塁打、40打点のジェームスはPV-10.4。一方、この年のブライアントの成績は35本塁打106打点、PV13.7。ブライアントとジェームスが入れ替わっていれば、PVは24.1も増え、これをそのまま得失点差に反映させると、巨人との差は45点にまで広がっていたことになる。
ただし、セ・リーグではブライアントの守備についても考慮しなくてはならない。91年まではレフトの守備に就く機会のほうが多かったが、93年以降はDHに専念していたので、中日にいたら守備力は問題になっていたかもしれない。それでもなお打力によるプラスが上回ったと思われるが、守らせていたら故障が発生していた可能性もある。あくまで机上の計算ではブライアントがいれば、"10.8決戦"に臨むまでもなく中日が優勝したと考えられるが、実際はそう上手く運ばなかったかもしれない。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。