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プロ野球

【プロ野球トレード収支の大検証:第6回】平成最大の衝撃のトレード――日本ハムリーグ優勝の立役者・糸井がまさかの放出

出野哲也

2021.01.05

<日本ハム>糸井の穴埋めに苦労して最下位転落
 予想通り、13年の日本ハムは糸井に代わる右翼手探しに苦労した。先発で起用された選手だけで13人、その中には40歳の稲葉篤紀や、本来は捕手の近藤健介もいた。最も多かったのは大谷の51試合で、打率.238、3本塁打、PV-3.1。糸井に比べて大幅なグレードダウンとなった。

 その一方で、トレードの目的だった遊撃の固定化は果たされた。12年は6名が先発で使われ、大ベテランの金子誠が311打席でPV-5.8、若手の中島卓也は82打席で-6.2だった。これが13年は大引が120試合にわたって守り、打率.266、107安打でPV5.0。プラスマイナスで約10点改善されたことになる。とはいえ、これでは糸井の攻撃力の3分の1程度を埋め合わせたに過ぎない。

 木佐貫もチーム最多の9勝を挙げたが、防御率3.66/PV-1.5。前年の八木よりは良い成績でも、リーグワーストの防御率4.19だった投手陣を救えるほどではなかった。その結果、13年の日本ハムは、パ・リーグでは史上初となる、前年リーグ優勝から最下位へ転落した。14年は打率.245でPV-1.0へ下降した大引は、15年にFAでヤクルトへ移籍。赤田は14年限りで引退、木佐貫も14~15年は6試合に投げただけで引退し、糸井の交換要員は全員、3年でチームを去った。
 
 14年の日本ハムは首位ソフトバンクから6.5ゲーム差の3位。前述の通りPV50.2だった糸井が残留していたなら、この差をひっくり返せただろうか? 得失点差はホークスが+85、ファイターズは+24で、単純に糸井と大引のPVを差し引きすると約10点まで縮まる。逆転の可能性はあったとも思われるが、大引がいない場合の遊撃手のマイナス分が、どれほどあったかは分からない。

 トレードのもう一つの目的だった年俸抑制と、それに伴う若手の成長促進という効果はあった。大引が2年間遊撃を務めた間に成長した中島は、15年はリーグ最多の34盗塁でベストナインに選ばれ、チームも16年に日本一になった。この結果だけ見れば、糸井を出した影響は最小限で食い止められた、と言えなくもない。それでも糸井は30代後半を迎えても衰えず、19年までPV10以上を維持。放出後の合計PVは20年終了時で186.1まで達している。日本ハムが糸井を手放したのは、どう考えても失敗だった。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
 

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