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大学野球

ドラフトの挫折。燻る社会人野球生活を変えた元プロ捕手との出会い――。慶大助監督・竹内大助の知られざる野球人生【第3章】

矢崎良一

2022.03.10

慶応大で助監督を務めた竹内(左)。彼はなぜ一度断っていたオファーを受諾したのか。写真:滝川敏之

慶応大で助監督を務めた竹内(左)。彼はなぜ一度断っていたオファーを受諾したのか。写真:滝川敏之

 そこから2シーズン、都合6年間現役生活を続け、2018年のオフにトヨタのユニホームを脱ぐ。28歳。現役を終えることに関しては、寂しさや悔しさよりも、「ここまでやった」という満足感のほうが大きかった。

「もちろん、100%満足というわけではなく、“まだやりたい”という感情は、プレーヤーである限り絶対にあるものです。ただ、“ここまでやれたんだから”という思いに加えて、自分のなかでプレーヤーとしての感情が変わってきたのかな、という実感がありました。だんだん後輩の活躍が嬉しくなってきたんです」

 飛躍を遂げた4年目のシーズンに、高卒で入社してきた投手がいた。同じ左腕ということもあって、いろいろと世話を焼いた。3年間、一緒に練習して、一緒に悩み、考えて、彼が成長して試合で結果を出した時に、それを心から喜べる自分がいた。第一線で「俺が俺が」というところから、意識が変わってきていることに気付かされた。

 その若手投手は秋のドラフトで指名を受けプロ入りを果たす。今、オリックスでリリーフとして活躍する富山凌雅だ。

 同じタイミングで舞い込んだのが、母校慶大からの助監督のオファーだった。

 じつは以前にも一度、話があった。都市対抗に優勝した2016年のことだ。しかし、ちょうど細山田との出会いもあり、野球が楽しくなっていた時期。「もう少し現役をやりたいので」と断っていた。

 まさか二度目があるとは考えてもいなかった。ゆえに再オファーを受けた時には、一度目とは違った意味で驚いたという。

「3年目のシーズンが終わったあたりから、野球を追い求めていく自分と、切り替えて次のステップに進む自分というのを、秤に掛けて考えるようになっていたんです。だから、いつ(現役を)やめようか? この先の人生をどうしていこう? ということはずっと考えていました。そういうタイミングだったので、非常にリアルに感じた話でしたね」

 選手として、まだ成長できるという手応えはあった。このまま現役を続けるか、助監督のオファーを受けるか、どちらも選択せずに野球から離れてトヨタの社員として働くか、という3つの選択肢。その3つを、どれも同じくらいの熱量で考えていた。

「そのなかでいちばん刺激が多そうな選択をしたい」と思った時に、先がイメージしやすい現役続行や会社員生活よりも、何があるのか皆目見当も付かない助監督が面白そうだと感じられた。信頼する細山田に意見を聞くと、「野球を学べる場所を与えてもらって、チャンスじゃないか」と背中を押してくれた。

 こうして、2019年2月、竹内は慶大助監督に就任する。

――第4章へ続く――

取材・文●矢崎良一

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