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大谷のフェンウェイでの活躍からつながった「MLBの救世主」ベーブ・ルースとの奇妙な歴史の偶然<SLUGGER>

ナガオ勝司

2022.05.14

 1920年、ジャクソンは32歳で打率.382を記録するなど、衰えを感じさせない活躍を見せた。だが、「National Pastime=国民的娯楽」とされたプロ野球が汚い金にまみれていることを危惧したメジャーリーグは、絶対的な裁量権を持つコミッショナー職を設置。ケネソー・マウンテン・ランディス判事を初代コミッショナーに据え、球界浄化に乗り出した。これで、ジャクソンの運命は大きく変わることになった。

 ランディスは刑事裁判での評決に関係なく、ジャクソンを含む8人のホワイトソックスを永久処分としたのだ。これが世に言う“ブラックソックス・スキャンダル”だ。

 興味深いのは、“ブラックソックス・スキャンダル”でイメージが悪化したメジャーリーグを救ったのがルースだったと、今では広く信じられていることだろう。

 ルースは1919年、すでに当時の最多記録である29本塁打を放ち、ファンの野球に対する関心を大きく変えたと言われている。彼が繰り出す豪快なスウィングと、とんでもない飛距離のホームランは「プロ野球の華」となった。ルースが空振りしても、当時の記者は次のように書いてその魅力を伝えようとしたそうだ。
「ルースが空振りすると、観客席が震える」。

 ルースは1919年オフにヤンキースに売り渡されたが、実はヤンキース以外にもう1チーム交渉相手がおり、それが「八百長嫌疑」をかけられたホワイトソックスで、しかも交換条件がジャクソン+金銭だったのは奇妙な縁だ。

 結局、金銭トレードでヤンキースに移籍したルースは翌1920年、前年を大きく上回る54本塁打、さらにその翌年には59本塁打を放ち、レッドソックス時代の「投打二刀流」ではなく、「ホームラン・キング」として人々に記憶されることになる。

“ブラックソックス・スキャンダル”に加え、第一次世界大戦やスペイン風邪のパンデミックの渦中にあったアメリカ国民にとって、ルースが「救世主」だったという表現は決して大げさではなかったのかもしれない。

 それから103年後、大谷翔平がフェンウェイ・パークで躍動した。ロシアによるウクライナ侵攻や、新型コロナウイルスのパンデミックが終息に向かいつつある中でのこと。球界を見ても、ここ数年メジャーリーグの観客動員が減少傾向にあったことに加え、ロックアウトの影響で野球人気衰退の危機が叫ばれるようになった。

 時代も世相も大きく違う今、アメリカ社会、あるいはMLBに当時のルースのような「救世主」は必要ないかもしれない。それでも、偶然と言うにはあまりにもタイミングのいい大谷の活躍に驚きを感じずにはいられない。

文●ナガオ勝司

【著者プロフィール】
シカゴ郊外在住のフリーランスライター。'97年に渡米し、アイオワ州のマイナーリーグ球団で取材活動を始め、ロードアイランド州に転居した'01年からはメジャーリーグが主な取材現場になるも、リトルリーグや女子サッカー、F1GPやフェンシングなど多岐に渡る。'08年より全米野球記者協会会員となり、現在は米野球殿堂の投票資格を有する。日米で職歴多数。私見ツイッター@KATNGO
 
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