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プロ野球

<2019ベストヒット!>戦力外から2億円プレーヤーへ――リストラをバネに這い上がった男たち

2019.12.28

▼宮地克彦(元ソフトバンクほか/外野手)
 戦力外からの劇的な復活から「リストラの星」と呼ばれた宮地は、1990年のドラフト4位で西武に入団した時はまだ投手だった。オープン戦で勝利投手となり、ルーキーで開幕一軍に抜擢された「期待の星」だったが、調子を崩して一度も登板がないまま二軍行き。結局投手として一度も一軍で登板することなく、93年に打者へ転向した。

 02年には4番カブレラ、5番・和田一浩の前を打つ「日替わり3番打者」の一員として100試合に出場したが、翌年はヒザの故障でわずか25試合しか出られず、オフに戦力外通告を受けてしまう。

 現役続行を希望する宮地はいくつかの球団の入団テストを受けるが、すべて不合格。トライアウトも受験したが手を挙げる球団はなかった。台湾球界入りも検討していたところ、外野のレギュラーだった村松有人がFAで退団するダイエーから声がかかり、テスト入団が決まった。

 宮地は新天地でライトのレギュラーに定着。05年にはプロ入り16年目にしてオールスターに初出場。規定打席に到達して打率.311の好成績で、ベストナインにも選ばれた。翌年は守備中の故障で48試合の出場に終わり、35歳という年齢もあってまたも戦力外に。トライアウトを経ても獲得球団は現れず、07年はBCリーグの富山サンダーバーズでプレーしたが、どこからもオファーはなく引退。引退後はソフトバンク・西武でコーチを務め、現在はエイジェックの女子硬式野球部のGMを務める。
 
▼田上秀則(元ソフトバンクほか/捕手)
 01年のドラフト3位で中日に入団した田上は、いきなり不運に見舞われた。FAで同じ捕手の谷繁元信が移籍してきたのである。当時球界随一の名捕手だった谷繁が相手ではろくに出場機会も与えられず、4年でわずか13試合の出場に終わり、05年オフに早くも戦力外通告。

 だが、田上をどん底に叩き落したのがFAなら、復活のきっかけになったのもFAだった。マリナーズにFA移籍した城島健司に代わる捕手を探していたソフトバンクから声がかかり入団。持ち前の強打を武器に着実に出場機会を増やし、09年には完全に正捕手に定着して26本塁打、80打点でベストナインに輝いた。

 翌年以降の成績は徐々に下降線をたどり、15試合の出場に終わった13年限りで引退。一軍では有終の美を飾ることができなかったが、ファーム日本選手権では勝ち越し本塁打を放ってMVPに輝いた。
 

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