NBAの正史では、初代ダンク王は1984年大会のラリー・ナンスということになっている。だが、その7年前、NBAがスラムダンク・コンテストを開催していたことをご存知だろうか。
オールスターのサブイベントではなく、総勢22名でシーズンを通じて行なわれたが、あまりに盛り上がりに欠けたため、歴史から抹消されてしまった。その幻のイベントと“初代”ダンク王、ダーネル・ヒルマンを取り上げる。
■NBA史から抹消された1977年のダンクコンテスト
『ザ・オフィシャルNBAエンサイクロペディア』という分厚い本がある。厚さ5.5cm、重さ2.5kg、ドアストッパーの代わりに使えそうな重量感だ。NBAが出版している公式のNBA百科辞典で、これまでの歴史やデータがこれでもかというぐらい徹底的に網羅されている。そのなかにオールスターのセクションがあり、スラムダンク・コンテストについてこう書かれてある。
“1984年、NBAはデンバーでオールスターを開催し、スラムダンクのイベントをNBAで復活させることを決定した”
その文章の前には、76年にABA最後となるオールスターゲームがデンバーで開催され、その時に初めてスラムダンク・コンテストが実施されたことや、ジュリアス・アービング(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズ/以下ドクターJ)がレーンアップ(フリースローラインから踏み切って決めるダンク)で優勝を飾ったなどといった情報が、事細かに記載されている。
NBAエンサイクロペディアにはそのように書いてあるものの、スラムダンク・コンテストの歴史に精通した方なら違和感を覚えたに違いない。NBA初のスラムダンク・コンテストは、77年に開催されているからだ。ちょっと調べればすぐ情報は出てくる。
とは言え、NBAが自ら出版している公式本にそう書いている以上、84年に行なわれたスラムダンク・コンテストを第1回とする、というのが表向きの見解なのだろう。歴代ダンク王のリストも、スタート年は84年で、初代のチャンピオンはラリー・ナンス(元クリーブランド・キャバリアーズほか)ということになっている。
オールスターのサブイベントではなく、総勢22名でシーズンを通じて行なわれたが、あまりに盛り上がりに欠けたため、歴史から抹消されてしまった。その幻のイベントと“初代”ダンク王、ダーネル・ヒルマンを取り上げる。
■NBA史から抹消された1977年のダンクコンテスト
『ザ・オフィシャルNBAエンサイクロペディア』という分厚い本がある。厚さ5.5cm、重さ2.5kg、ドアストッパーの代わりに使えそうな重量感だ。NBAが出版している公式のNBA百科辞典で、これまでの歴史やデータがこれでもかというぐらい徹底的に網羅されている。そのなかにオールスターのセクションがあり、スラムダンク・コンテストについてこう書かれてある。
“1984年、NBAはデンバーでオールスターを開催し、スラムダンクのイベントをNBAで復活させることを決定した”
その文章の前には、76年にABA最後となるオールスターゲームがデンバーで開催され、その時に初めてスラムダンク・コンテストが実施されたことや、ジュリアス・アービング(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズ/以下ドクターJ)がレーンアップ(フリースローラインから踏み切って決めるダンク)で優勝を飾ったなどといった情報が、事細かに記載されている。
NBAエンサイクロペディアにはそのように書いてあるものの、スラムダンク・コンテストの歴史に精通した方なら違和感を覚えたに違いない。NBA初のスラムダンク・コンテストは、77年に開催されているからだ。ちょっと調べればすぐ情報は出てくる。
とは言え、NBAが自ら出版している公式本にそう書いている以上、84年に行なわれたスラムダンク・コンテストを第1回とする、というのが表向きの見解なのだろう。歴代ダンク王のリストも、スタート年は84年で、初代のチャンピオンはラリー・ナンス(元クリーブランド・キャバリアーズほか)ということになっている。