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NBA

ペイサーズが企てた心温まるサプライズ。”悲運のダンク王”ヒルマンへ贈られた40年越しのプレゼント【NBA秘話・後編】

大井成義

2020.02.13

ペイサーズの粋な計らいで、40年越しに優勝トロフィーを手にしたヒルマン。なきものにされそうになったダンク王がようやく日の目を浴びた。(C)Getty Images

ペイサーズの粋な計らいで、40年越しに優勝トロフィーを手にしたヒルマン。なきものにされそうになったダンク王がようやく日の目を浴びた。(C)Getty Images

 NBA初となるスラムダンク・コンテストは、なんと1シーズンを通して行なわれた。正式名称は『CBSスラムダンク・コンペティション』。CBSは1973-74シーズンから89-90シーズンまでの17年間に渡り、NBAの放映権を得て全国放送を担ったテレビ局。プレーオフを録画で放送した、悪名高い局として知られている。

 フォーマットとルールは次の通り。各チームから1人ずつ代表者を選出し、CBSのNBA全米中継"Game of the Week"のハーフタイムに、2人の選手がダンクのスキルを競う。総勢22人がトーナメント方式で戦い、決勝はNBAファイナルのハーフタイムに開催される。

 ルールは印を付けた5つの場所から、それぞれ5本のダンクを行ない、3人の審査員が5本をまとめて10点満点で採点する。3人が満点を出すと30点。そこにプラスでダンク1本成功につき2点、5本成功で10点。審査員点の30点と合わせて、最高得点は40点ということになる。
 
 CBSとNBAは、回を重ねるにつれどんどん話題性が増し、最後は大盛り上がりのなかでスーパースターによる夢の共演を目論んだが、そうは問屋が卸さなかった。まず前年度のABAスラムダンク・コンテストの覇者であり、最大の目玉選手でもあったフィラデルフィア・セブンティシクサーズのジュリアス・アービング(以下ドクターJ)が、優勝賞金(1万5000ドル)の増額を要求。それが難しいとわかると、コンテストからさっさと身を引くという予想外の展開となってしまう。

 前途多難な船出のなかで、デイビッド・トンプソン(当時デンバー・ナゲッツ)、ジョージ・ガービン(当時サンアントニオ・スパーズ)、カリーム・アブドゥル・ジャバー(当時ロサンゼルス・レイカーズ)、アレックス・イングリッシュ(当時ミルウォーキー・バックス)、モーゼス・マローン(当時ヒューストン・ロケッツ)、ダリル・ホーキンス(当時シクサーズ)、エルビン・ヘイズ(当時ワシントン・ブレッツ/現ワシントン・ウィザーズ)といったビッグネームが参加を表明した。
 
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