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NBA

ペイサーズが企てた心温まるサプライズ。”悲運のダンク王”ヒルマンへ贈られた40年越しのプレゼント【NBA秘話・後編】

大井成義

2020.02.13

決勝の相手マクニール(写真)は、ヒルマン以上に無名の存在だった。(C)Getty Images

決勝の相手マクニール(写真)は、ヒルマン以上に無名の存在だった。(C)Getty Images

 実は、ヒルマンはこの数か月前にインディアナ・ペイサーズからニューヨーク(翌年ニュージャージーに改名、現在はブルックリン)・ネッツにトレードされていた。ネッツはヒルマンをスラムダンク・コンテスト要員として獲得したのだったが、ルール上NGであることが後に判明する。ネッツはプレーオフ進出も逃したため、ヒルマンはいずれのチームとも契約を結んでおらず、数か月間宙ぶらりんの状態だった。

 それゆえ、チームジャージーではなく、背番号20を書き込んだ白いランニングシャツを着てコンテストに臨んでいる。インタビュー時には、インディアナポリスに現存するリカーショップ“BOTTLE SHOPPE”のロゴが入ったウォームアップシャツを着用。BOTTLE SHOPPEはヒルマンが所属するソフトボールリーグのスポンサーで、知り合いから宣伝として着用するよう頼まれたそうだ。

 決勝のスコアは37対35.5。ヒルマンが悲願の優勝を成し遂げたものの、終了直後のCBSの素っ気なさたるやなかった。レポーターによる20秒程度のおざなりなインタビューだけで、簡単なトロフィーや盾の贈呈もなし。CBSがすぐさまPGAツアー(プロゴルフ)の中継に切り替える必要があったため、時間が押していたのが原因らしいが、それにしても栄えある初代NBAスラムダンク・コンテスト王者に対して、あまりに酷い対応だった。
 
 77年のスラムダンク・コンテストの映像は、決勝も含めてこれまで存在していないものと思われていた。当のヒルマン本人も20年以上に渡り映像を探し続けてきたが見つけ出すことができず、NBAはおろか放送したCBSにすら残されていなかったそうだ。

 ところが近年、決勝やトーナメントのごく一部を記録した短い録画映像が『YouTube』にぽつぽつとアップされ、数本のみとはいえヒルマンやジャバー、イングリッシュらの当時のダンク映像を鑑賞することができる。それらを見る限り、やはりヒルマンの“ドクター・ダンク”というニックネームは、伊達ではなかったようだ。
 
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