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NBA

ペイサーズが企てた心温まるサプライズ。”悲運のダンク王”ヒルマンへ贈られた40年越しのプレゼント【NBA秘話・後編】

大井成義

2020.02.13

優勝候補の最右翼だったトンプソンも早期敗退。目玉ダンカーが次々と姿を消し、コンテストに暗雲が立ち込める。(C)Getty Images

優勝候補の最右翼だったトンプソンも早期敗退。目玉ダンカーが次々と姿を消し、コンテストに暗雲が立ち込める。(C)Getty Images

 しかし、その後も誤算は続く。2番手の目玉選手だったトンプソンが早々に敗れてしまったのだ。大物ダンカーの早期敗退に焦ったCBSは、トンプソンにその後も2度復活の機会を与えたそうだが、計3回のチャンスすべてに敗北。どういった手法と力技でそのようなことが可能だったのかは、調べてみてもわからなかったが、とにかくそんな時代だったのだろう。

 さらにガービンもトーナメント序盤で敗退。ドクターJは出場を拒否し、トンプソンとガービンも早々に消え去った。夢の共演どころか、主役級の選手がほぼいなくなってしまったのだった。

 そんななか、このコンテストに懸けていたダーネル・ヒルマンは快進撃を続けた。マローンとの勝負では規定の5本のダンクで同点となり、タイブレークの末に勝利をもぎ取る。カンザスシティ(現サクラメント)・キングスのリチャード・ワシントン、続いてシカゴ・ブルズのミッキー・ジョンソンを退け、ジャバーとの準決勝では、彼の古巣ミルウォーキーという完全アウェーの地で、絶頂期のジャバー相手に見事勝利を収めた。
 
 ビッグネームを次々となぎ倒していくヒルマンだったが、自チームでは控え選手であり、全国的に見れば知る人ぞ知る的な存在。そんなB級選手の快進撃を、CBSとNBAは苦々しい思いで眺めていたことだろう。

 77年6月5日、ポートランドで開催されたブレイザーズ対シクサーズのNBAファイナル第6戦のハーフタイムに、スラムダンク・コンテストの決勝は行なわれた。決勝を第6戦に組み込んだというあたりに、CBSとNBAの狡猾さが伺える。もしスウィープや第5戦でファイナルの行方が決していた場合、決勝は実施されなかった可能性が高い。

 決勝の相手はゴールデンステイト・ウォリアーズのラリー・マクニール。NBAとその他のリーグを合わせて計10球団を渡り歩いたジャーニーマンで、英語版ウィキペディアの紹介文はわずか6行ほど。当時どれだけの認知度があったかは想像に難くない。
 
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