トレイシー・マッグレディ(元オーランド・マジックほか)は、15年間のNBAキャリアで7度のオールNBAチーム選出、7度のオールスター出場、2度の得点王タイトル獲得と輝かしい実績を残したが、優勝には手が届かなかった。
マッグレディの全盛期だった2000年代前半のNBAは、シャキール・オニール(シャック)&コビー・ブライアント擁するロサンゼルス・レイカーズ、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリ率いるサンアントニオ・スパーズ、鉄壁を誇ったデトロイト・ピストンズが牛耳っていた。さらに2000年代後半に入ると、ドゥエイン・ウェイドやレブロン・ジェームズといった新世代の若手が台頭。マッグレディ自身はヒザのケガに悩まされ、徐々に輝きを失っていった。
しかし今年6月、『ESPN』の番組『First Take』に出演した際、マッグレディは「もし自分がコビーの代わりにシャックと組んでいたら、優勝できなかったとは思わない。単にその機会がなかっただけさ。優勝できる立場に置かれていたら、絶対に自分のプレーでチームを引き上げられたはずだ」と語った。
シャックも自身のポッドキャストで「もしマッグレディと組んでいたら、3回の優勝は可能だった」と同意していたが、これに異を唱えたのが、レイカーズでコビーと共闘した元選手のクワミ・ブラウンだ。
2001年のドラ1は、自身のポッドキャスト『Kwame Brown Bust Life』の最新エピソードで、マッグレディを痛烈に批判した。
ブラウンは、元チームメイトを擁護する形で、マッグレディはロサンゼルスでコビーが成し遂げたことを達成することはできなかったと指摘。その理由は、彼が「怠惰で軟弱」だったからだという。
「自分でも『怠けていた』と言っていただろ?ワークアウトでケガをしていたんだ。誰も触っていないのに、ケガをして痙攣し、倒れていた。そんなお前が、亡くなったコビーと自分を比べるってどういうことだ?コビーが生きている時に比べればよかったんじゃないのか?あのワークアウトで、コビーはお前を諦めさせるくらい追い込んでいたんだぞ」
マッグレディは、NBAで支配的なスターとプレーする機会がほとんどなかった。マジックで相棒として期待されたグラント・ヒルはケガに苦しみ、一緒にコートに立ったのは3年間でわずか43試合。ヒューストン・ロケッツではヤオ・ミンとプレーしたものの、彼も故障が多く、シャックほどの存在ではなかった。
ブラウンによれば、マッグレディは複数のチームでチャンスを得ていたが、頂点に立つ器ではなかったという。
「チームごとにチャンスはあったのに、一度も結果を出せなかった。だからシャックと一緒にプレーしても関係ない。もしファイナルでシャックがケガしていたら、お前も後ろでやられていたはずだ。正直に認めろ」
NBAで頂点に立つには実力だけでなくタイミングや運も必要と言われるが、マッグレディにはその運が巡ってこなかったのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
マッグレディの全盛期だった2000年代前半のNBAは、シャキール・オニール(シャック)&コビー・ブライアント擁するロサンゼルス・レイカーズ、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリ率いるサンアントニオ・スパーズ、鉄壁を誇ったデトロイト・ピストンズが牛耳っていた。さらに2000年代後半に入ると、ドゥエイン・ウェイドやレブロン・ジェームズといった新世代の若手が台頭。マッグレディ自身はヒザのケガに悩まされ、徐々に輝きを失っていった。
しかし今年6月、『ESPN』の番組『First Take』に出演した際、マッグレディは「もし自分がコビーの代わりにシャックと組んでいたら、優勝できなかったとは思わない。単にその機会がなかっただけさ。優勝できる立場に置かれていたら、絶対に自分のプレーでチームを引き上げられたはずだ」と語った。
シャックも自身のポッドキャストで「もしマッグレディと組んでいたら、3回の優勝は可能だった」と同意していたが、これに異を唱えたのが、レイカーズでコビーと共闘した元選手のクワミ・ブラウンだ。
2001年のドラ1は、自身のポッドキャスト『Kwame Brown Bust Life』の最新エピソードで、マッグレディを痛烈に批判した。
ブラウンは、元チームメイトを擁護する形で、マッグレディはロサンゼルスでコビーが成し遂げたことを達成することはできなかったと指摘。その理由は、彼が「怠惰で軟弱」だったからだという。
「自分でも『怠けていた』と言っていただろ?ワークアウトでケガをしていたんだ。誰も触っていないのに、ケガをして痙攣し、倒れていた。そんなお前が、亡くなったコビーと自分を比べるってどういうことだ?コビーが生きている時に比べればよかったんじゃないのか?あのワークアウトで、コビーはお前を諦めさせるくらい追い込んでいたんだぞ」
マッグレディは、NBAで支配的なスターとプレーする機会がほとんどなかった。マジックで相棒として期待されたグラント・ヒルはケガに苦しみ、一緒にコートに立ったのは3年間でわずか43試合。ヒューストン・ロケッツではヤオ・ミンとプレーしたものの、彼も故障が多く、シャックほどの存在ではなかった。
ブラウンによれば、マッグレディは複数のチームでチャンスを得ていたが、頂点に立つ器ではなかったという。
「チームごとにチャンスはあったのに、一度も結果を出せなかった。だからシャックと一緒にプレーしても関係ない。もしファイナルでシャックがケガしていたら、お前も後ろでやられていたはずだ。正直に認めろ」
NBAで頂点に立つには実力だけでなくタイミングや運も必要と言われるが、マッグレディにはその運が巡ってこなかったのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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