反則スレスレのフィジカルな守備で1980年代に“バッドボーイズ”の異名を取ったデトロイト・ピストンズ。1990年代に入ってチームは低迷期を経験するも、2004年にフランチャイズ史上3度目、14年ぶりのリーグ優勝を果たした。
同年のファイナルは、チャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス、ベン&ラシードの“ダブル・ウォーレス”ら職人肌の選手を中心に、コビー・ブライアントとシャキール・オニールを擁するスター軍団のロサンゼルス・レイカーズを撃破したが、ベン・ウォーレスは、2003年のドラフトでカーメロ・アンソニーを獲得していたら優勝はなかったとの見解を示した。
1996年にドラフト外でNBAデビューを飾ったウォーレスは、2000年のピストンズ移籍を機にリバウンダーとして覚醒。同年に平均13.2リバウンドを記録すると、翌2001-02シーズンにはリバウンド王とブロック王に輝き、最優秀守備選手賞を獲得し、古豪ピストンズ復活の原動力となった。
ピストンズにおける英雄の1人であるウォーレスは、『120 Watts podcast』に出演。「もし俺らがドラフトでカーメロを獲得していたら、チャンピオンシップは獲得していなかっただろう」と当時を振り返った。
優勝した前年の2003年ドラフトは、全体1位レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ/現ロサンゼルス・レイカーズ)、3位カーメロ・アンソニー(デンバー・ナゲッツ/現ポートランド・トレイルブレイザーズ)、4位クリス・ボッシュ(トロント・ラプターズ)、5位ドゥエイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)など、のちにリーグを代表する逸材が揃った豊作年。そのなかで、ピストンズは2位指名でセルビア出身のビッグセンターであるダーコ・ミリチッチを獲得した。
2003年6月に就任したラリー・ブラウン・ヘッドコーチは、ピストンズは当初カーメロを指名する予定だと聞かされていたが、突如としてミリチッチにシフトチェンジしていたことを後日談として告白していた。ただ、ウォーレスはピストンズの決断は正しかったと持論を展開している。
「メロはすぐにプレーしたがっていた。才能に恵まれた選手だが、チームケミストリーが乱れる可能性があった。ダーコは『まだ僕はこのチームでプレーできる準備ができていない』と言っていた。彼は自分がより強くならなければならないことを理解していた。俺たちはチャンピオンシップを勝ち獲りたかったからね」
ウォーレスはカーメロの才能を認めつつも、チーム内の不要な衝突を回避したことで、強力なケミストリーをキープすることに役立ったとの見解を述べている。
ミリチッチのルーキーイヤーは34試合出場で平均4.7分、1.4点、1.3リバウンド止まりだったが、チャンピオンリングを獲得。その後は1度も2桁得点とリバウンドを記録することなく、5チームを渡り歩いて2012年を最後にNBAの舞台を退いた。対するカーメロは、歴代20位の通算2万6205得点を誇り、リーグ史に残るスコアラーとして名を刻む一方でいまだ優勝経験はない。
もし、カーメロがピストンズに入っていたら――。そんな議論は今後何度も浮上するかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
同年のファイナルは、チャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス、ベン&ラシードの“ダブル・ウォーレス”ら職人肌の選手を中心に、コビー・ブライアントとシャキール・オニールを擁するスター軍団のロサンゼルス・レイカーズを撃破したが、ベン・ウォーレスは、2003年のドラフトでカーメロ・アンソニーを獲得していたら優勝はなかったとの見解を示した。
1996年にドラフト外でNBAデビューを飾ったウォーレスは、2000年のピストンズ移籍を機にリバウンダーとして覚醒。同年に平均13.2リバウンドを記録すると、翌2001-02シーズンにはリバウンド王とブロック王に輝き、最優秀守備選手賞を獲得し、古豪ピストンズ復活の原動力となった。
ピストンズにおける英雄の1人であるウォーレスは、『120 Watts podcast』に出演。「もし俺らがドラフトでカーメロを獲得していたら、チャンピオンシップは獲得していなかっただろう」と当時を振り返った。
優勝した前年の2003年ドラフトは、全体1位レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ/現ロサンゼルス・レイカーズ)、3位カーメロ・アンソニー(デンバー・ナゲッツ/現ポートランド・トレイルブレイザーズ)、4位クリス・ボッシュ(トロント・ラプターズ)、5位ドゥエイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)など、のちにリーグを代表する逸材が揃った豊作年。そのなかで、ピストンズは2位指名でセルビア出身のビッグセンターであるダーコ・ミリチッチを獲得した。
2003年6月に就任したラリー・ブラウン・ヘッドコーチは、ピストンズは当初カーメロを指名する予定だと聞かされていたが、突如としてミリチッチにシフトチェンジしていたことを後日談として告白していた。ただ、ウォーレスはピストンズの決断は正しかったと持論を展開している。
「メロはすぐにプレーしたがっていた。才能に恵まれた選手だが、チームケミストリーが乱れる可能性があった。ダーコは『まだ僕はこのチームでプレーできる準備ができていない』と言っていた。彼は自分がより強くならなければならないことを理解していた。俺たちはチャンピオンシップを勝ち獲りたかったからね」
ウォーレスはカーメロの才能を認めつつも、チーム内の不要な衝突を回避したことで、強力なケミストリーをキープすることに役立ったとの見解を述べている。
ミリチッチのルーキーイヤーは34試合出場で平均4.7分、1.4点、1.3リバウンド止まりだったが、チャンピオンリングを獲得。その後は1度も2桁得点とリバウンドを記録することなく、5チームを渡り歩いて2012年を最後にNBAの舞台を退いた。対するカーメロは、歴代20位の通算2万6205得点を誇り、リーグ史に残るスコアラーとして名を刻む一方でいまだ優勝経験はない。
もし、カーメロがピストンズに入っていたら――。そんな議論は今後何度も浮上するかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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