NBA

【NBAスター悲話】レジー・ルイス――キャリア絶頂期に突如訪れた死。そして浮上したドラッグ使用疑惑【後編】

大井成義

2020.03.07

キャリアの絶頂期にあった1993年に帰らぬ人となったルイス。死後、コカイン使用疑惑が浮上したが、真相は闇の中だ。(C)Getty Images

 NBA屈指の名門球団ボストン・セルティックス。2019-20シーズンもイースタン・カンファレンスで上位を争っているが、そんな"強豪"がかつて不振に喘いでいたことをご存じだろうか。1995-96シーズンから6年連続プレーオフ逸。この低迷は、ある男を襲った悲劇から始まった。エース兼キャプテンのレジー・ルイスが1993年、練習中に急死したのだ。しかもその後、彼の死はドラッグによるものだったとメディアに告発され、彼の妻と球団を巻き込んだ訴訟沙汰へと発展していく――。

   ◆   ◆   ◆

■ピックアップゲーム中のルイスを襲った突然の悲劇

 翌朝ルイスはボストンのニューイングランド・バプティスト病院で精密検査を受けた。検査の結果、発作の原因は心臓の異常であるとの見方が強まった。そこでチームドクターのアーノルド・シェラーの指揮のもと、ボストンを代表する高名な心臓専門医12人が招集される。シェラーは前年のバルセロナ・オリンピックにちなんで、彼らを"ドリームチーム"と名付け、万全の態勢でルイスの診断に臨んだ。

 それから3日後、ドリームチームはひとつの結論に至る。「心筋症による不整脈の疑いが強く、命の危険をともなう可能性もあり、選手生活を断念すべきである」という、厳しい診断結果だった。
 
 その3年前、ロヨラ・メリーマウント大の全米No.1選手、ハンク・ギャザーズが試合中に心臓発作で崩れ落ち、数か月後に再び倒れ死亡するという痛ましい事故があり、その様子がテレビ中継されていたこともあって全米中が騒然とした。ルイスの検査結果はギャザーズのそれに酷似しており、この先激しい運動を続けるにはリスクが高すぎる、それがドリームチームの下した結論だった。

 それを聞いたルイスは、心電図モニターの装置を自ら外し、医師たちの反対を押し切って、「自らの責任において退院する」という誓約書にサインしたうえで病院を後にした。ドリームチームが導き出した結論は机上の空論である、そう憤りを感じたルイスは、妻のドナが以前人事部で働いていたブリガム&ウィメンズ病院に緊急転院したのだった。

 ブリガム&ウィメンズ病院の担当医、心臓病部門長のギルバード・マッジは、1週間にわたる検査の結果、大胆とも思える診断を下した。それはドリームチーム医師団の結論を完全に否定し、「ルイスの心臓はノーマルなアスリートのもので、発作は心臓神経の異常により偶発したに過ぎず、今後コートに戻っても問題ない」というものだった。
 
NEXT
PAGE
再びコートに戻ったルイスだったが…