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“ドック”の由来は着ていたTシャツ。現役屈指の名将リバースは、いかにしてその統率力を培ったのか【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.03.12

現役屈指の名将として名高いリバース。“ドック”の愛称はドクターJのTシャツを着ていたことからつけられた。(C)Getty Images

 現役ヘッドコーチ(HC)のなかでも、ドック・リバースは最も高く評価されている指導者の1人だ。2008年にボストン・セルティックスを優勝に導くと、2013年には采配能力を高く買っていたロサンゼルス・クリッパーズが、ドラフト指名権と引き替えでセルティックスから獲得したほど。その才は現役時代から際立っており、所属した4球団すべてでプレーオフへ進出するなど、優れた統率力を持つ選手と見られていた。そんな頭脳明晰な男のキャリアを紐解いていく。
 
■"ドック"の由来は着ていたTシャツから。そしてプレーもドクターJ顔負け

 "ドック"ことグレン・リバースは、シカゴでも特に治安の悪い地域で生まれ育ったが、道を踏み外すことはなかった。それは厳しかった警察官の父に「お前が街で喧嘩しているのを見かけたら、容赦なく牢屋に叩き込む」と脅されていたのもひとつの理由だが、何よりもバスケットボールという、情熱を傾けるものがあったことが大きかったという。

 少年時代から「プロのバスケットボール選手になる」と公言していた彼にとって、NBAは遠い存在ではなかった。というのも、叔父のジム・ブルワーが1972年のミュンヘン五輪のアメリカ代表で、1973年のドラフトにおいてクリーブランド・キャバリアーズから2位指名を受けた好選手だったからだ。

「8年生になるまでまともに勉強したことがなかった」というリバースだったが、ブルワーの母校でもあるバスケの強豪校、プロビソ・イースト高校に入るために猛勉強を重ね、全体2番目の好成績で合格。後年、NBAのHCとして発揮される才覚は、この頃に下地が築かれたのかもしれない。

 "ドック"と呼ばれるようになったのも高校時代だった。大抵、このニックネームは医師免許を持つ者や、学校で医学を学んだ者につけられるのだが、リバースの場合、その命名理由はそれとはまったく異なる。

「ドクターJ(往年の名選手ジュリアス・アービングの愛称)のTシャツを着てサマーキャンプに参加していたら、講師のリック・マジェラスからドックと呼ばれたんだ。どんなに『僕の名前はグレンです』と言っても、彼はドックと呼ぶのをやめてくれなかったよ(笑)」
 
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