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大ケガ、強豪への移籍を機にロールプレーヤーへと転身。栄光に満ちたロン・ハーパーのキャリア第2章【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.03.24

優勝には縁のなかったキャブズ、クリッパーズ時代を経て、94年にブルズへと移籍。これがハーパーにとって大きな転機となった。(C)Getty Images

 バスケットボールの腕に覚えのある者なら、誰でもチームの中心となって脚光を浴びたいと思うだろう。それが優勝に縁のない下位チームであったとしても、注目の的にはなれるし高い給料も得られる。その一方で、どんな役割であっても、チームとして勝利を手にしたいとの願望もまた、皆が持っている。だが、いずれも同時に叶えられるのはごく一握りのスーパースターだけで、それ以外の選手は「弱いチームの主役」、もしくは「強いチームの脇役」のいずれかに甘んじなければならない。

 ロン・ハーパーはその両方を経験している。NBAでの最初の8年間はエースとして、最後の7年間はチャンピオンチームでロールプレーヤーに徹し、いずれの立場でも称賛を得た、数少ない選手の一人だった。

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 ロサンゼルス・クリッパーズ在籍時は「俺はいま刑期中なのさ」と言って批判を浴びたこともあったが、そこはハーパーにとって良い思い出の詰まったチームだった。

「もし殿堂入りできるなら、クリッパーズの一員として受け入れられたい。自分がチームを背負って立つ選手だと、証明できるチャンスをくれたところだからね」

 1993-94シーズン終了後、FAとなったハーパーにシカゴ・ブルズから声がかかる。1年前にマイケル・ジョーダンが引退したブルズは、後継者として期待されていたトニー・クーコッチが今ひとつだったため、ハーパーにその役割を期待したのだ。

 ところが移籍1年目は、キャリア最悪の不振に陥る。前年20.1点だった得点は約3分の1の6.9点にまで下降。2月には先発SGの座を追われ、3月にジョーダンが復帰してからは出場時間も激減してしまった。

「MJ(ジョーダン)が戻ってくるのはわかっていた。毎日のように練習場に顔を出していたんだから。それでもまだ戻るつもりはないと言い続けていたから、彼に言ってやったんだ。自分の心に正直になれとね」

 居場所を失いそうになったハーパーは、自ら新たな道を切り開く。「(ヘッドコーチの)フィル・ジャクソンと話し合って、こう言ったんだ。このチームにはMJも、スコッティ(・ピッペン)も、クーコッチもいて、俺がシュートを打つチャンスは1試合に5回もない。だからポイントガード(PG)をやりたいとね。そうしたら、『10~12本シュートを打たせろと言うのなら、君をトレードするつもりだった』と返されたよ」
 
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守備の名手としてブルズとレイカーズで5度の優勝を経験