NBA

名将や熱狂的ファンが称賛する“ニックスの魂”。いまだ色褪せぬジョン・スタークスの価値

北舘洋一郎

2020.03.26

ニックス3度目の黄金期を支えたのは、スーパースターのユーイング(左)と叩き上げのスタークス(右)だった。(C)Getty Images

 ロサンゼルス・レイカーズやゴールデンステイト・ウォリアーズに並ぶ人気チームで、日本でもファンの多いニューヨーク・ニックス。しかし、2013年以降はプレーオフに進出できないどころか、リーグの最底辺を彷徨い続けている。

 そんなニックスだが、過去に3度の黄金期があった。最初はNBA創成期、2度目が1970年代前半、そして3度目が1980年代中盤から2000年にかけての約15シーズンである。

 そのなかで、3度目の黄金期を支えたスーパースターが、1985年にドラフト全体1位で入団したパトリック・ユーイングだ。

 当時のNBAは、ビッグセンターを中心にインサイドを制するチームが上位を占め、チャンピオンを狙う球団は大物ビッグマンの獲得に必死になっていた。ニックスはユーイングの入団後すぐに強豪の仲間入り、とはならなかったが、1988-89シーズンには52勝30敗の好成績を残し、アトランティック・ディビジョンの首位に立つ。第2シードでプレーオフに駒を進めるも、イースタン・カンファレンス準決勝でシカゴ・ブルズに2勝4敗で敗れてしまった。

 ユーイングは「この時から打倒ブルズがニックスの大きな目標となった。個人的には大学時代からマイケル(ジョーダン)とはライバルだったが、NBAでもそれは続くことになった」と話す。
 
 しかし、ニックスはユーイングの周りを固める実力者を集めるのに苦戦していた。そんな状況が続いた1991年、レイカーズを4度の優勝に導いたパット・ライリーをヘッドコーチ(HC)に迎えたことで、ニックスの快進撃が始まることになる。

「ライリーはすでにいるメンバーの資質を見極め、それぞれに最良の役割を与えた。そして『ディフェンスで戦うチームになる』と選手たちに伝えたんだ」

 そう話すのは、1990年にドラフト外からはい上がり、ニックスとの契約を勝ち取ったジョン・スタークス。彼は今でも"ニックスの魂"と呼ばれ、ニューヨーカーから絶大な人気を誇っている。

「俺は天才じゃない。だから練習して上手くなるしかなかったんだ。NBAのHCに声をかけられた時は、涙が出るほど嬉しかった」と、スタークスはニックスと契約できた時のことを懐かしそうに回顧する。
 
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