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「1人の人間の夢が“物”扱いされた」スター街道を驀進していたウェバーが、NBA入り直後に味わった屈辱と苦悩の日々

北舘洋一郎

2020.04.03

マジックから1位指名を受けた直後にウォリアーズへトレードされたウェバー。思えば、ドラフト前にオーランドへ招待された時から不信感があったという。(C)Getty Images

 私がクリス・ウェバーと始めて会ったのは、彼が20歳の時。ドラフト全体1位でオーランド・マジックに指名され、その直後にゴールデンステイト・ウォリアーズにトレードされてから3ヶ月後の、1993年9月だった。

 中学、高校、そしてミシガン大時代の"ファブファイブ"。ウェバーはアメリカ・バスケットボール界の王道で、常にスポットライトを一身に受けながらキャリアを重ねてきた男だった。しかし、ドラフト直後の電撃トレードというウェバーもまったく予期しなかったプロスポーツの洗礼を、若干20歳で容赦なく浴びせられることになる。

「ドラフトされる前から決まっていたんだ、マジックとウォリアーズとの間でね。マジックはすでにインサイドにシャック(シャキール・オニール)を擁していて、ドラフトではアウトサイドでプレーするペニー(ハーダウェイ)を獲得したかった。でも実際にマジックが1位指名したのは俺だった。なぜなら、ドラフト直後にウォリアーズとの間で、数年後のドラフト権と一緒に俺とペニーをトレードすることが決まっていたからだ。俺はこのトレードのことはまったく知らなかった。今思えば、ドラフト前にオーランドに招待された時から様子は変だった」と、ウェバーは当時を振り返る。
 
 普通、ドラフト前に有力指名候補がフランチャイズ(本拠地)を訪ねたら大歓迎を受けるものである。チームの将来がかかった大物ルーキーが来たのだから当然のことだ。

 しかし、ウェバーの時は状況が違ったという。

「オーランドの空港に着いた時に、来ているはずの迎えの車がいない。マジックの球団幹部との面談も社交辞令に終わった。『俺はこんなチームに入団して、はたしていいプレーができるのだろうか』と心配になったことを覚えている」

 ウェバーの直感は間違いではなかった。マジックは彼に対し、茶番劇を演じたのだ。

 すでにシャックと交流のあったウェバーは、1983年にラルフ・サンプソン、1984年にアキーム・オラジュワンと2人のビッグマンをドラフトで獲得し"ツインタワー"を形成したヒューストン・ロケッツが、1986年にファイナル進出を果たした以上のことができる、と電話で夢を語り合っていた。トレードの知らせが届いたのは、その矢先のことだった。
 
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この“事件”から、ウェバーの心には常に猜疑心が渦巻き始める