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99年にマッグレディはシクサーズに入団寸前だった?アイバーソンとのスーパーデュオ結成を阻んだのは……

ダンクシュート編集部

2020.04.10

99年にマッグレディ(左)はシクサーズへの移籍が決まりかけていたが、記者のスクープによりトレードは破綻。アイバーソンとのドリームデュオ結成はならなかった。(C)Getty Images

 NBAではこれまで、トレード合意や移籍の噂が報じられながら実現しなかった"幻のデュオ"がいくつも存在する。グラント・ヒルとティム・ダンカン、アレン・アイバーソンとケビン・ガーネット、コビー・ブライアントとレブロン・ジェームズ、クリス・ポールとコビー……。夢のある組み合わせばかりだが、1999年にコンビ結成間近まで迫っていたのがアイバーソンとトレイシー・マッグレディの2人だ。

 1997年ドラフト1巡目9位指名でトロント・ラプターズから指名されたマッグレディだが、当時まだ18歳。高校を卒業したばかりで身体の線が細く、従弟で1年後にNBA入りしたヴィンス・カーターの陰に隠れていた。ルーキーイヤーが64試合で平均7.0点、2年目も49試合で平均9.3点と殻を破れずにいた1999年のオフ、ラプターズはマッグレディのトレードを画策する。その交渉相手が、リーグ屈指のスコアラーとして鳴らし、98-99シーズンには初の得点王を獲得したアイバーソンが所属するフィラデルフィア・セブンティシクサーズだった。

 シクサーズはマッグレディとドラフト1巡目指名権、ラプターズは若手有望株のラリー・ヒューズを手にすることで両者は合意していたが、成立寸前で取引は破綻に。当時、フィラデルフィアの地元紙『The Philadelphia Inquirer』でシクサーズの番記者を務めていた、スポーツジャーナリストのスティーブン・A・スミス氏が、トレードの内容をスクープしたのが事態を急変させてしまったとされている。
 
「シクサーズのラリー・ブラウン・ヘッドコーチは、2年目ガードのラリー・ヒューズを売りに出していないと言った。しかし、ラプターズは1週間ほど前、ヒューズ獲得のために来夏にフリーエージェントになるマッグレディをシクサーズに提示した。驚くべきことに、シクサーズはマッグレディにドラフト1巡目指名権をつけるように求め、話しをより好奇心をそそるものにした。ラプターズは現在、そのオファーを熟考している」

 シクサーズのGMだったビリー・キングものちに、合意から一転して破談になったことを認めており、『97.5 The Fanatic』のインタビューで「我々はマッグレディを獲得する予定だった前夜に合意していた。我々はヒューズを手放すつもりだったが、トロントが二の足を踏んだ」と明かしている。

 結局、マッグレディは3年目を終えた2000年にフリーエージェントでオーランド・マジックと6年6750万ドル(約73億円)で契約。待望のエースの座に就き、2002-03シーズンには平均32.1点を叩き出して初の得点王に輝いた。一方のアイバーソンも、2000-01シーズンには得点王とシーズンMVPをダブル受賞し、NBAファイナルに進出するなど、お互いにリーグを代表するスーパースターに上り詰めた。