1997-98シーズンのシカゴ・ブルズに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』の放映が4月19日(日本時間20日)に迫り、マイケル・ジョーダンが話題に挙がる機会が増えている。相手をねじ伏せる得点力、驚異的な跳躍力と闘争心で「史上最高の選手」としての地位を築いてきたが、無双時代に入る前のキャリア初期を知る"天敵"は、レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)こそが№1だと主張している。
ジョーダンはマジック・ジョンソンやラリー・バード、アイザイア・トーマスが全盛期だった1980年代のNBAに新星として登場。3年目の1986-87シーズンに平均37.1点を叩き出して初の得点王に輝くと、1990-91シーズンからはスリーピート(3連覇)と"ブルズ王朝"を築いた。電撃引退から最初の復帰を果たした1990年代後半にも3連覇を成し遂げ、進出したファイナルは6回すべてでチャンピオンシップを獲得した。
バスケットボール界においてはアンタッチャブルな存在と言っていいが、現役時代にブルズとライバル関係にあったデトロイト・ピストンズなどで活躍したビル・レインビアは、『ESPN』の番組『First Take』でジョーダンの後継者として語られてきたレブロンを高く評価するコメントを残した。
「声を大にして言っておく。レブロンが歴史上最高の選手だと思う。203cm・129kg(公称は113kg)の体で風のように速く走り、アリーナから飛び出そうなほど高く跳ぶ。結局、彼が歴史上最高の選手だと確信しているってことさ」
現在WNBAのラスベガス・エイシーズでヘッドコーチを務めるレインビアは、若き日のデニス・ロッドマンが"なぜあんなにリバウンドが取れるのか"とお手本にした実力者。なにより、ピストンズが1988~90年のプレーオフでジョーダン擁するブルズを3年連続で退け、1989、90年のリーグ2連覇に大きく貢献した。"神様対策のいろは"を知る男は、当時のイメージをこのように振り返っている。
「キャリア初期、彼はワンマン・バンド(独りよがりのスタイル)だった。我々は3人で彼のアタックを止めに行って、フリースローを打たせるようにしたよ。シカゴはジョーダンがチームメイトを信頼するになって長い目で政権を築いた」
ジョーダンはマジック・ジョンソンやラリー・バード、アイザイア・トーマスが全盛期だった1980年代のNBAに新星として登場。3年目の1986-87シーズンに平均37.1点を叩き出して初の得点王に輝くと、1990-91シーズンからはスリーピート(3連覇)と"ブルズ王朝"を築いた。電撃引退から最初の復帰を果たした1990年代後半にも3連覇を成し遂げ、進出したファイナルは6回すべてでチャンピオンシップを獲得した。
バスケットボール界においてはアンタッチャブルな存在と言っていいが、現役時代にブルズとライバル関係にあったデトロイト・ピストンズなどで活躍したビル・レインビアは、『ESPN』の番組『First Take』でジョーダンの後継者として語られてきたレブロンを高く評価するコメントを残した。
「声を大にして言っておく。レブロンが歴史上最高の選手だと思う。203cm・129kg(公称は113kg)の体で風のように速く走り、アリーナから飛び出そうなほど高く跳ぶ。結局、彼が歴史上最高の選手だと確信しているってことさ」
現在WNBAのラスベガス・エイシーズでヘッドコーチを務めるレインビアは、若き日のデニス・ロッドマンが"なぜあんなにリバウンドが取れるのか"とお手本にした実力者。なにより、ピストンズが1988~90年のプレーオフでジョーダン擁するブルズを3年連続で退け、1989、90年のリーグ2連覇に大きく貢献した。"神様対策のいろは"を知る男は、当時のイメージをこのように振り返っている。
「キャリア初期、彼はワンマン・バンド(独りよがりのスタイル)だった。我々は3人で彼のアタックを止めに行って、フリースローを打たせるようにしたよ。シカゴはジョーダンがチームメイトを信頼するになって長い目で政権を築いた」