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マジックはレイカーズでの現役復帰を望まなかった?名司令塔がプレーしたかったチームとは…

ダンクシュート編集部

2020.04.30

マジックはライリーHC(左)の下で4度の優勝を経験。本人は恩師が指揮を執り、すぐにチャンピオンが狙えるニックスで復帰したかったようだ。(C)Getty Images

「ニックスに行きたかったけど、上手くいかなかった。すべてのことを話し合った結果、レイカーズは『ノー』と言った。それが結論だった」

 これはマジック・ジョンソンが現役に復帰した直後の1996年2月、『ニューヨーク・デイリーニュース』のインタビューで語った言葉だ。1980年代に一世を風靡した大型司令塔は、本当にニューヨーク・ニックス移籍を希望していたのか。どこまで現実に近づいていたのか。20年以上の月日を経て、関係者が真相を明かしている。

 79年のドラフト1位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団したマジックは、ルーキーイヤーに平均18.0点、7.7リバウンド、7.3アシストをあげてオールスターに出場。フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのファイナル第6戦では、負傷欠場したカリーム・アブドゥル・ジャバーに代わってセンターを務め、42得点、15リバウンド、7アシストという大活躍でレイカーズを優勝に導いた。

 1981-82シーズンにパット・ライリー(現マイアミ・ヒート球団社長)がヘッドコーチ(HC)に就任すると、レイカーズはマジックを中心とした"ショータイム"と称される速攻主体の攻撃的スタイルでリーグを席巻。マジックはライリーがチームを去る90年までの間に優勝4回、シーズンMVP3回、アシスト王4回とトップスターの座を不動のものとした。
 
 しかし91年10月、32歳のマジックは健康診断でHIV感染が判明する。その1か月後の11月7日に「HIVに感染したので、本日付けでレイカーズを辞めなければならなくなった」と現役引退を発表し、世界中に衝撃を与えた。

 突如NBAの舞台から去ったマジックだが、ファン投票1位となった92年のオールスターに特別出場を果たしMVPを受賞。さらに同年のバルセロナ五輪では"ドリームチーム"の一員として金メダルを獲得した。大舞台でハイレベルなプレーができることを証明したマジックは、オリンピック前に『ロサンゼルス・タイムズ』でNBA復帰に関してこのように語っていた。

「現役復帰できるなら、優勝を狙いたい。ジェリー(ウエスト・ゼネラルマネージャー)と会って言ったよ。『ジェリー、もしレイカーズで復帰したくなかったら、それは大丈夫?』とね。ニックスに行くのはいいだろうね。チームの指揮を執るパット(ライリー)は5年プランを立てるタイプじゃない。それが、まさに僕が求めていることだ」

 もっとも、マジックは84年にレイカーズと25年総額2500万ドル(現在のレートで約27億円)という長期契約を結んでおり、引退したとはいえ形式上は"レイカーズの選手"。当時、レイカーズのGMを務めていたウエストは「ジョンソンはレイカーズと契約していて、誰とでもバスケットボールができるわけじゃない。レイカーズと私は、彼が別の場所でプレーしている姿を想像できない。彼はチームと契約すれば、拘束されることを忘れているのだろう」と反応していた。