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NBA

【名作シューズ列伝】ピッペンとマリンの「AIR FLIGHT LITE MID」は自己主張の少なさが売り?デフォルトBOXは細部にこだわりが

西塚克之

2020.05.02

ピッペンはバルセロナ五輪で平均9.0点に終わったが、味方のチャンスを多く演出し、大会3位の平均5.9アシストをマークした。(C)Getty Images

ピッペンはバルセロナ五輪で平均9.0点に終わったが、味方のチャンスを多く演出し、大会3位の平均5.9アシストをマークした。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!

 1992年、ドリームチームのシグネチャーモデル第3弾、本編8箱目は、マイケル・ジョーダンとの最強コンビで一躍トップスターに駆け上がったスコッティ・ピッペンと、ゴールデンステイト・ウォリアーズのスコアラー、クリス・マリンが着用したモデル「AIR FLIGHT LITE MID」のお話です。

 ピッペンは、12人兄弟の末っ子として決して裕福ではない家庭に育ちました。高校時代は175cm・70kgと小柄で目立った実績もなかったことから、当然NCAAの強豪校からのオファーはなく、無名校のセントル・アーカンソー大にマネージャーとして入学するという平均以下の選手でした。

 しかし、ここから彼の人生は大きく変わります。奨学金を受ける選手に欠員ができ、満額ではなかったもののピッペンが奨学金をもらうことに。それによって食生活が劇的に改善され、身長と体重、そしてスキルが急成長。周囲の働きもあり、シカゴ・ブルズのGMジェリー・クラウスの目に止まるまでの選手になります。
 
 87年ドラフトでは1巡目5位という高順位で指名を受け、晴れてNBAキャリアをスタートしました。ゴンザガ大出身の八村選手が1巡目9位ですから、ブルズがいかにピッペンを高く評価していたかがわかります。

 新人時代はベンチ起用でしたが、2年目にスタメンの座をゲット。同地区の強豪“バッドボーイズ”ピストンズのラフプレーにトラウマレベルになるまで苦しめられたものの、相棒ジョーダンの叱咤激励などもあり見事克服。91年に初のNBAチャンピオンに輝き、名実ともにスターの仲間入りを果たしました。

 一方のマリンは、10代の頃から名の知れた選手で、セントジョーンズ大時代の84年にはジョーダンやパトリック・ユーイングらとともにロサンゼルス五輪に出場し、金メダルを獲得。NBAでは86年のドラフト1巡目7位でウォリアーズに指名され、1年目からチームに不可欠な存在に。3年目にアルコール依存症で一時的にコートを離れるも、その後、ミッチ・リッチモンド、ティム・ハーダウェイの“ランTMC”と呼ばれるハイスコアリングトリオで一世を風靡しました。

 オールスターには89年から5年連続で選ばれるなど、ウォリアーズ不動のエースだったマリンですが、日本での知名度は低く「ハリソン・フォードに似た、海軍みたいなプレーヤーは誰?」なんて言われる始末でした。
 

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