4月20日にスタートした1997-98シーズンのシカゴ・ブルズに密着したドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』。マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンというスーパースターが共闘したラストシーズンを追った同作は、当時の裏話やチーム事情が次々と明らかになるなど、大きな話題を呼んでいる。
ブルズは同シーズンに2度目のスリーピート(3連覇)を達成。この優勝を最後にジョーダンはユニフォームを脱ぎ、ピッペンとロッドマンは他球団へ移籍、名将フィル・ジャクソン・ヘッドコーチ(HC)も退任しブルズ王朝は崩壊した。
ジョーダンは引退から3年後の2001年にワシントン・ウィザーズで2度目の現役復帰。ブランクと加齢もあってブルズ時代から成績は落としたものの、お家芸のダブルクラッチやクラッチシュートでファンを喜ばせ、2年間で平均21.2点、5.9リバウンド、4.4アシストをマークした。
そんななか、ダラス・マーベリックスの名物オーナー、マーク・キューバンが当時の裏話を暴露。ダラスの『G-Bag Nation』のラジオインタビューで、2001年のオフにジョーダンをマーベリックスに勧誘したことを明らかにした。
マーベリックスは前年に53勝をあげて11年ぶりにプレーオフへ出場。チームはさらに浮上を目指すべく、即戦力の獲得を狙っていた。ただキューバンにとって1番の問題は、2000年にジョーダンがウィザーズのオーナー兼バスケットボールオペレーションの社長に就任し、すでにウィザーズでプレーする計画を立てていたことだった。
それでもキューバンはジョーダンと彼の代理人であるデイビッド・フォークに会う価値があると感じていたという。
「私はデイビッド・フォークのオフィスに行った、そこにすべて(ウィザーズと契約するため)の書類があった。でも私はジョーダンに署名せず、マーベリックスと契約するよう説得しようとしたんだ」
キューバンはその場で「勝つために必要なことは何でもする。マーベリックスでプレーすれば、タイトル(優勝)を勝ち取ることができる」と熱心にアピールした。
しかし、ウィザーズでの復帰を考えていたジョーダンの心を動かすことはできず、「会議は非常に、非常に、非常に短いものに終わった」(キューバン)。
2001-02シーズン、ウィザーズは新HCにジョーダンのブルズ時代の恩師であるダグ・コリンズを招聘。さらにロサンゼルス・レイカーズからガードのタロン・ルーを加えたが、ロースターの層が薄く、チームは37勝止まり。翌年にはオールスター選手のジェリー・スタックハウスを獲得したものの、またも37勝。結局2年連続でプレーオフ進出を逃し、ジョーダンは引退した。
一方のマーベリックスにはダーク・ノビツキー、スティーブ・ナッシュ、マイケル・フィンリーといった伸び盛りの選手が多くおり、01-02シーズンは57勝をあげ、プレーオフではカンファレンス準決勝に進出。翌年には当時のチーム最多となる60勝をマークし、カンファレンス・ファイナルまで勝ち進んだ。もしここにジョーダンが加わっていたら、キューバンの言葉通り、タイトルを獲得していたかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
ブルズは同シーズンに2度目のスリーピート(3連覇)を達成。この優勝を最後にジョーダンはユニフォームを脱ぎ、ピッペンとロッドマンは他球団へ移籍、名将フィル・ジャクソン・ヘッドコーチ(HC)も退任しブルズ王朝は崩壊した。
ジョーダンは引退から3年後の2001年にワシントン・ウィザーズで2度目の現役復帰。ブランクと加齢もあってブルズ時代から成績は落としたものの、お家芸のダブルクラッチやクラッチシュートでファンを喜ばせ、2年間で平均21.2点、5.9リバウンド、4.4アシストをマークした。
そんななか、ダラス・マーベリックスの名物オーナー、マーク・キューバンが当時の裏話を暴露。ダラスの『G-Bag Nation』のラジオインタビューで、2001年のオフにジョーダンをマーベリックスに勧誘したことを明らかにした。
マーベリックスは前年に53勝をあげて11年ぶりにプレーオフへ出場。チームはさらに浮上を目指すべく、即戦力の獲得を狙っていた。ただキューバンにとって1番の問題は、2000年にジョーダンがウィザーズのオーナー兼バスケットボールオペレーションの社長に就任し、すでにウィザーズでプレーする計画を立てていたことだった。
それでもキューバンはジョーダンと彼の代理人であるデイビッド・フォークに会う価値があると感じていたという。
「私はデイビッド・フォークのオフィスに行った、そこにすべて(ウィザーズと契約するため)の書類があった。でも私はジョーダンに署名せず、マーベリックスと契約するよう説得しようとしたんだ」
キューバンはその場で「勝つために必要なことは何でもする。マーベリックスでプレーすれば、タイトル(優勝)を勝ち取ることができる」と熱心にアピールした。
しかし、ウィザーズでの復帰を考えていたジョーダンの心を動かすことはできず、「会議は非常に、非常に、非常に短いものに終わった」(キューバン)。
2001-02シーズン、ウィザーズは新HCにジョーダンのブルズ時代の恩師であるダグ・コリンズを招聘。さらにロサンゼルス・レイカーズからガードのタロン・ルーを加えたが、ロースターの層が薄く、チームは37勝止まり。翌年にはオールスター選手のジェリー・スタックハウスを獲得したものの、またも37勝。結局2年連続でプレーオフ進出を逃し、ジョーダンは引退した。
一方のマーベリックスにはダーク・ノビツキー、スティーブ・ナッシュ、マイケル・フィンリーといった伸び盛りの選手が多くおり、01-02シーズンは57勝をあげ、プレーオフではカンファレンス準決勝に進出。翌年には当時のチーム最多となる60勝をマークし、カンファレンス・ファイナルまで勝ち進んだ。もしここにジョーダンが加わっていたら、キューバンの言葉通り、タイトルを獲得していたかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集