NBA

【名作シューズ列伝】バークレーの代名詞モデル「AIR FORCE 180 LOW」。BOXはハイテク感とシンプルさが上手く共存

西塚克之

2020.05.11

バークレーは92年のバルセロナ五輪で並み居るスターたちを抑えて、チーム最多の平均18.0点、FG成功率は71.1%と高確率で点を重ねた。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!

 初代ドリームチームのシグネチャーモデル第5弾、本編10箱目は、チャールズ・バークレーが着用した「AIR FORCE 180 LOW」のお話です。



 バークレーは身長198cm(実際はもう少し低かかったと言われています)とパワーフォワードとしては小柄ながら、体重は114kgという豆タンク体型で"空飛ぶ冷蔵庫"と呼ばれていました。オーバーン大時代からパワーとスペーシングの上手さ、体格離れしたスピードとジャンプ力に定評があり、1984年のドラフトでは1巡目5位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに指名されます。

 当時のシクサーズは、ジュリアス・アービングやモーゼス・マローンというスター選手がいましたが、主力の高齢化でチームは世代交代の時期を迎えていました。バークレー自身は順調に成長を続けていたものの、プレーオフでは2回戦進出が精一杯。キャリア8年目の1991-92シーズンはプレーオフ進出を逃し、不完全燃焼で迎えたオフにドリームチームのメンバーに選ばれたのです。
 
 代表では同期で仲が良かったマイケル・ジョーダンや後にチームメイトになるスコッティ・ピッペンらを抑え、チーム最多の平均18.0点をマーク。NBAでは同年にフェニックス・サンズへ移籍すると、1年目からシーズンMVPを受賞するなど大暴れ。プレーオフではウエストの頂点に立ち、ファイナルこそジョーダン率いるシカゴ・ブルズに敗れたものの、平均27.3点、13.0リバウンド、5.5アシストと実力を如何なく見せつけました。2000年の引退後は解説者に転身し、現役時代同様、歯に衣着せぬ発言でお茶の間の人気者となっています。

 デビューからバークレーの足元を支えていたのはAIR FORCEシリーズでしたが、オリンピックモデルのベースになったのは、のちに彼の代名詞となる「AIR FORCE 180 LOW」。ちなみに「AIR FORCE 180」にはハイカットモデルもあり、こちらのメインプレーヤーはデイビット・ロビンソン(元サンアントニオ・スパーズ)でした。

 ネーミングにあるように、デザインはミッドソールからアウトソールに至るまで180度AIRが剥き身で可視化され、通常のアウトソールラバーはなしという斬新なモデルでした。