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NBA

【名作シューズ列伝】名パサーのストックトンがビッグマン向けのモデル「AIR BALLISTIC FORCE HIGH」を着用した理由

西塚克之

2020.05.05

ストックトンは目立つプレーを好まず、性格やファッションも控えめ。一時はテニスシューズを着用するなど、バッシュにこだわりはなかったようだ。(C)Getty Images

ストックトンは目立つプレーを好まず、性格やファッションも控えめ。一時はテニスシューズを着用するなど、バッシュにこだわりはなかったようだ。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!

 初代ドリームチームのシグネチャーモデル第4弾、本編9箱目は、アスレティック型ビッグマンのデイビッド・ロビンソンと、名パサーのジョン・ストックトンが着用した「AIR BALLISTIC FORCE HIGH」のお話です。



 ロビンソンは高校卒業後に海軍士官学校に入学。1987年にネイスミス賞とウッデン賞を受賞するなど高い評価を受け、同年のドラフト1位でサンアントニオ・スパーズから指名されました。しかしプロ入りはせず2年間義務軍役期間を務め、海軍中尉で軍を退役後の89年にデビューという特殊な経歴の持ち主でした。ニックネームの“ジ・アドミラル”(提督)の由来はここからきています。

 なお、ロビンソンはソウル五輪にも出場。同大会でアメリカは準決勝でアルビダス・サボニス率いるソ連に76対82で惜敗しました。結果的に銅メダルは獲得したものの、この敗戦こそが“ドリームチーム”結成のきっかけになったのです。
 
 ストックトンは、“NBA史上最も地味なスーパースター”と言われ、本人も派手で目立つことはせず、地道で堅実なアメリカの田舎に住むお父さんのような存在でした。ゴンザガ大で4年間プレーし、84年のロサンゼルス五輪ではメンバー入りこそ逃したものの、代表候補に名前が挙がるほどの選手でした。

 ただ当時のゴンザガ大はマイナーカレッジで、84年のドラフトでは会場に招待されず。本人もテレビで自分の名前が呼ばれた際は「どうしたらいいのかわからなかった」と語ったほどでした。それは世間も同様で、解説者は「あまり聞かない選手ですね」とコメントし、指名したユタ・ジャズのファンですら「誰やねん?」状態だったと思います。

 完全に無印だったストックトンですが、プロ入り後は相棒カール・マローンと強力なデュオを結成しアシストを量産。19年間のキャリアで積み上げた1万5806アシストは歴代トップで、ミスの少ないプレースタイルはポイントガードのお手本そのものでした。

 簡単に2人の経歴を紹介しましたが、ポジションはロビンソンがセンター、ストックトンはガードで、プレーも対極でした。
 

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