シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンの密着ドキュメンタリーシリーズ『ザ・ラストダンス』(全10話)の放映が始まり、マイケル・ジョーダンをはじめとした当時の優勝メンバーが改めて脚光を浴びている。黄金期を支えた輝かしい選手たちの中にあって、とりわけ異彩を放っていたのがデニス・ロッドマンだ。けばけばしく染めた髪、タトゥー、ピアス、暴言、女装、アバンチュール……彼は危険人物であり、セックスシンボルであり、尊敬すべきリバウンダーだった。NBA史上、他に類を見ない異端のヒーローのキャリアを前後編で振り返る。
デニス・ロッドマンがNBAから姿を消して、20年もの月日が過ぎた。現役時代の彼を知らない人にとって、14年間で平均得点2桁以上は一度だけ、通算7.3点の選手がマイケル・ジョーダンと並ぶ人気選手だったことは理解できないのではないか。
頻繁に髪の色を変え、自著の発表会にウェディングドレスを着て現れ、プロレスのリングに立ち……。異常なほどのロッドマン人気は、その奇怪なパフォーマンスに拠る部分も大きかったが、それだけが理由ではない。天才的なリバウンドの才能、頭脳的で執拗なディフェンス、そして所属チームを常に勝利に導いてきた、確かな実力があってのことだった。
■警備員からNBAチャンプへと激変した平凡な不良少年の人生
ロッドマンのキャリアには、普通と言えるようなことは何もない。スタート地点からして、彼は他の多くの選手たちと違っていた。高校時代まではそれほど背が高くなかったこともあって、有望なバスケットボール選手だとは一度も見られなかった。有名大学に進学できるわけでもなく、ダラスの空港で警備員として働き、敷地内の商品から時計を盗み、逮捕されたこともあった。平凡な不良少年の人生は、突然身長が伸び始めたことで激変した。短期大学で一時的にプレーしたのち、サウスイースタン・オクラホマ州大学に入学。今に至るまで、ロッドマン以外のNBA選手を1人も出していない無名校で、彼の才能は目覚めた。
1986年のドラフトでは、2巡目37位でデトロイト・ピストンズに指名された。「ピストンズのことは全然知らなかった。アイザイア・トーマスも、最初はボールボーイかと思ったよ」と言うロッドマンだったが、このチームに入団できたことは幸運だった。"バッドボーイズ"と呼ばれた、ラフでタフなチームカラーも彼にあっていたし、何よりもヘッドコーチのチャック・デイリーに出会えたのが大きかった。
「デニスはわがままだし、ずるい面もある。でもとても練習熱心だし、人から親切にされたり、公正な態度をとってもらえばそれを恩に感じる男だ」(デイリー)。
デニス・ロッドマンがNBAから姿を消して、20年もの月日が過ぎた。現役時代の彼を知らない人にとって、14年間で平均得点2桁以上は一度だけ、通算7.3点の選手がマイケル・ジョーダンと並ぶ人気選手だったことは理解できないのではないか。
頻繁に髪の色を変え、自著の発表会にウェディングドレスを着て現れ、プロレスのリングに立ち……。異常なほどのロッドマン人気は、その奇怪なパフォーマンスに拠る部分も大きかったが、それだけが理由ではない。天才的なリバウンドの才能、頭脳的で執拗なディフェンス、そして所属チームを常に勝利に導いてきた、確かな実力があってのことだった。
■警備員からNBAチャンプへと激変した平凡な不良少年の人生
ロッドマンのキャリアには、普通と言えるようなことは何もない。スタート地点からして、彼は他の多くの選手たちと違っていた。高校時代まではそれほど背が高くなかったこともあって、有望なバスケットボール選手だとは一度も見られなかった。有名大学に進学できるわけでもなく、ダラスの空港で警備員として働き、敷地内の商品から時計を盗み、逮捕されたこともあった。平凡な不良少年の人生は、突然身長が伸び始めたことで激変した。短期大学で一時的にプレーしたのち、サウスイースタン・オクラホマ州大学に入学。今に至るまで、ロッドマン以外のNBA選手を1人も出していない無名校で、彼の才能は目覚めた。
1986年のドラフトでは、2巡目37位でデトロイト・ピストンズに指名された。「ピストンズのことは全然知らなかった。アイザイア・トーマスも、最初はボールボーイかと思ったよ」と言うロッドマンだったが、このチームに入団できたことは幸運だった。"バッドボーイズ"と呼ばれた、ラフでタフなチームカラーも彼にあっていたし、何よりもヘッドコーチのチャック・デイリーに出会えたのが大きかった。
「デニスはわがままだし、ずるい面もある。でもとても練習熱心だし、人から親切にされたり、公正な態度をとってもらえばそれを恩に感じる男だ」(デイリー)。