マリーク・シーリーがこの世を去ってから20年の月日が流れた。彼は殿堂入りするようなスーパースターではなかったが、カリスマ性に溢れ、誰からも一目置かれる存在だった。多くの人に愛された男の、知られざるストーリーをお届けしよう。
◆ ◆ ◆
マリーク・シーリーという選手を覚えている人が、日本にどれだけいるだろうか。NBAでプレーした8年間で、個人タイトルの獲得やオールスター出場は1度もなく、シカゴ・ブルズやロサンゼルス・レイカーズのような人気球団にいたわけでもない。現役中に亡くなったことで名前は記憶していても、どんなプレースタイルの持ち主だったか鮮明に覚えている人は多くないだろう。
しかし、シーリーの名と彼が残したものはNBA選手の間で確かに受け継がれている。なかでもケビン・ガーネットは、最も影響を受けた選手の1人に彼の名を挙げているほどだ。
「マリークのことは一人の人間として尊敬していた」と語るガーネットは、ブルックリン・ネッツ時代には長年親しんだ21番や5番ではなく、シーリーが現役プレーヤーとして最後につけていた2番を新しい背番号として選んだ。シーリーに対する彼の想いは、それほどまでに強いのだ。
■ペイサーズ入団1年目にとんでもない失態を犯す
シーリーの父シドニーは元ボクサーで、現役引退後に公民権運動の伝説的指導者だったマルコムXのボディガードを務めていた。イスラムの言葉で“王”を意味するマリークという名前も、マルコムXの本名マリーク・シャバズからとられたものである。
ブロンクス生まれで、少年時代からストリートバスケットの世界では名の知れた存在だったシーリーは、トレンタイン高校時代にチームを州大会優勝、全国ランキング1位に導き、自身もオールアメリカンに選出される。
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マリーク・シーリーという選手を覚えている人が、日本にどれだけいるだろうか。NBAでプレーした8年間で、個人タイトルの獲得やオールスター出場は1度もなく、シカゴ・ブルズやロサンゼルス・レイカーズのような人気球団にいたわけでもない。現役中に亡くなったことで名前は記憶していても、どんなプレースタイルの持ち主だったか鮮明に覚えている人は多くないだろう。
しかし、シーリーの名と彼が残したものはNBA選手の間で確かに受け継がれている。なかでもケビン・ガーネットは、最も影響を受けた選手の1人に彼の名を挙げているほどだ。
「マリークのことは一人の人間として尊敬していた」と語るガーネットは、ブルックリン・ネッツ時代には長年親しんだ21番や5番ではなく、シーリーが現役プレーヤーとして最後につけていた2番を新しい背番号として選んだ。シーリーに対する彼の想いは、それほどまでに強いのだ。
■ペイサーズ入団1年目にとんでもない失態を犯す
シーリーの父シドニーは元ボクサーで、現役引退後に公民権運動の伝説的指導者だったマルコムXのボディガードを務めていた。イスラムの言葉で“王”を意味するマリークという名前も、マルコムXの本名マリーク・シャバズからとられたものである。
ブロンクス生まれで、少年時代からストリートバスケットの世界では名の知れた存在だったシーリーは、トレンタイン高校時代にチームを州大会優勝、全国ランキング1位に導き、自身もオールアメリカンに選出される。