NBA

ロケッツを連覇に導いたオラジュワンが味わった挫折とキャリアのターニングポイント

北舘洋一郎

2020.06.05

1年目からチームの主軸として好成績を残していたオラジュワンだが、20代の頃は「リーダーとして勝ちにこだわる姿勢を見せられた訳じゃなかった」という(C)Getty Images

 かつてNBAのヘッドコーチ経験者に「チームが優勝するために欲しいタイプの選手は?」という質問をしたことがある。

 カレッジとNBAの両方で優勝経験のあるラリー・ブラウンは「アレン・アイバーソンのような才能の塊は優勝のために必要な選手であることは間違いないが、それだけでは勝てないことをNBAで経験を積んだコーチであれば身にしみて知っているものだ」と答えた。

 オールスターゲームに何度も出場している超人気者と、チャンピオンリングを勝ち取る選手は、必ずしも"イコール"にはならないのがバスケットボールという競技だ。

  ブラウンは言う。

「カレッジでは№1チーム=ベストチームではないのが定説だ。一方NBAで№1チームはベストチームにしか成し得ないとなるのもまたバスケットボールだ。競技の特性に順応した才能を発揮できる選手がNBAでは生まれるもので、そこには色々な要素が含まれてくる。そんな中でも私が一番優勝に必要な選手に挙げるのはアキーム・オラジュワンだね」

 オラジュワンはマイケル・ジョーダンと同じ1984年のドラフトで1位指名を受けたセンター。1980年代のNBAでは、多くのチームがビッグマンを中心にロースターを構成しており、オラジュワンのような7フッター(213㎝)はどのチームも喉から手が出るほど欲しい選手だった。80年代のドラフト1位は10人中7人がセンターで、他の3人は81年のマーク・アグワイアと82年のジェームズ・ウォージー、そして88年のダニー・マニング。この中で身長が2m以下だったのはアグワイア1人だけで、センターの重要性が高い時代だったことがわかる。
 
 85年のドラフト1位パトリック・ユーイングはオラジュワンについて 「高さと幅も十分にあるのにフィジカルではなくテクニックで勝負を仕掛けてくるのがオラジュワンのスタイルだった」と評し、87年ドラ1のデイビッド・ロビンソンは「決して走力はなかったが、フェイクの俊敏さや相手を騙すスタイルはまるでガード選手のようだった」と回想する。

 のちに"ドリームシェイク"と呼ばれたシグネチャームーブをはじめ、多彩な武器を持ったオラジュワンは、当時の一流のセンターたちからも一目置かれていたのだ。

 93年ドラフト1位のクリス・ウェバーは「自分がデビューした当時、オラジュワンはキャリアの全盛期を迎えていた。彼が得意とする左ローポストでは得点されるか、ファウルするかの2択だった。コーチからはダブルチームでもいいからボールをオラジュワンから他の選手にパスさせるんだと怒鳴られていたよ」と笑う。