マイケル・ジョーダンは言わずと知れた"バスケットボール界の神様"だ。同学年のクライド・ドレクスラーは同じシューティングガードの選手としてトップレベルの実力を誇り、グライダーの美しい滑空に例えられたダンクは"クライド・ザ・グライド"と呼ばれたが、世界的な人気や経済への影響力を含めて大きな差があった。
シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』では、ドレクスラー擁するポートランド・トレイルブレイザーズと激突した92年ファイナルの模様も描写された。ジョーダンは当時ライバルと言われていたドレクスラーについて、「クライドが脅威じゃなかったとは言っていない。でも、彼と比較されるのは腹が立った」と発言して注目を集めた。
ジョーダンはブルズで2度の3連覇(1991~93年、96~98年)を達成したが、ドレクスラーはブレイザーズを優勝に導けず、1994-95シーズン途中に大学時代の盟友であるアキーム・オラジュワンが在籍するヒューストン・ロケッツへ移籍してようやくNBAタイトルを手にした。プレースタイルも"似ている"とは表現されてはいたものの、得点王10回のジョーダンに対してドレクスラーはゼロ(ジョーダン通算3万2292得点、ドレクスラー通算2万2195得点)。勝負所でのクラッチ力やディフェンス力もジョーダンが上だった。
ただ、ジョーダンはドレクスラーのことを自分に近い存在だと認めると同時に、違いも明確に見えていたようだ。1988-89シーズンから4年間ブルズに在籍し、1990年から3年連続で3ポイントコンテストを制覇、91、92年の優勝メンバーの1人だった職人シューターのクレイグ・ホッジスが、『VLAD TV』でジョーダンの言葉を明かしている。
「私は一度だけ、MJがクライド・ドレクスラーについて語ったことを覚えている。その時、MJはこう言ったんだ。『クライド・ドレクスラーは俺と同じくらい良い選手だが、試合での戦い方を知らない』とね」
ジョーダンはNBAで一世を風靡したが、優勝を果たせず、史上最高のプレーヤーに上り詰めていなければ、のちの『ジョーダン・ブランド』の爆発的な人気も、バスケットボールの枠を飛び出して"世界のアイコン"になることもなかっただろう。
『ザ・ラストダンス』を見なかったというドレクスラーは、ブレイザーズのドキュメンタリー『Rip City Revival』公開に際し、意地とばかりにこのような言葉を残している。
「私たち(89~92年のブレイザーズ)は十分な評価を得ていない。真のチームだった。バスケットボールはチームスポーツだ。1人で戦うわけじゃない」
2004年に殿堂入りを果たし、ブレイザーズ時代の22番はチームの永久欠番になるなどドレクスラーが名選手であることに疑いの余地はない。
それでも"バスケットの神様"との比較に関しては分が悪すぎるようだ。
構成●ダンクシュート編集部
シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』では、ドレクスラー擁するポートランド・トレイルブレイザーズと激突した92年ファイナルの模様も描写された。ジョーダンは当時ライバルと言われていたドレクスラーについて、「クライドが脅威じゃなかったとは言っていない。でも、彼と比較されるのは腹が立った」と発言して注目を集めた。
ジョーダンはブルズで2度の3連覇(1991~93年、96~98年)を達成したが、ドレクスラーはブレイザーズを優勝に導けず、1994-95シーズン途中に大学時代の盟友であるアキーム・オラジュワンが在籍するヒューストン・ロケッツへ移籍してようやくNBAタイトルを手にした。プレースタイルも"似ている"とは表現されてはいたものの、得点王10回のジョーダンに対してドレクスラーはゼロ(ジョーダン通算3万2292得点、ドレクスラー通算2万2195得点)。勝負所でのクラッチ力やディフェンス力もジョーダンが上だった。
ただ、ジョーダンはドレクスラーのことを自分に近い存在だと認めると同時に、違いも明確に見えていたようだ。1988-89シーズンから4年間ブルズに在籍し、1990年から3年連続で3ポイントコンテストを制覇、91、92年の優勝メンバーの1人だった職人シューターのクレイグ・ホッジスが、『VLAD TV』でジョーダンの言葉を明かしている。
「私は一度だけ、MJがクライド・ドレクスラーについて語ったことを覚えている。その時、MJはこう言ったんだ。『クライド・ドレクスラーは俺と同じくらい良い選手だが、試合での戦い方を知らない』とね」
ジョーダンはNBAで一世を風靡したが、優勝を果たせず、史上最高のプレーヤーに上り詰めていなければ、のちの『ジョーダン・ブランド』の爆発的な人気も、バスケットボールの枠を飛び出して"世界のアイコン"になることもなかっただろう。
『ザ・ラストダンス』を見なかったというドレクスラーは、ブレイザーズのドキュメンタリー『Rip City Revival』公開に際し、意地とばかりにこのような言葉を残している。
「私たち(89~92年のブレイザーズ)は十分な評価を得ていない。真のチームだった。バスケットボールはチームスポーツだ。1人で戦うわけじゃない」
2004年に殿堂入りを果たし、ブレイザーズ時代の22番はチームの永久欠番になるなどドレクスラーが名選手であることに疑いの余地はない。
それでも"バスケットの神様"との比較に関しては分が悪すぎるようだ。
構成●ダンクシュート編集部