ユタ・ジャズは、"神様"マイケル・ジョーダンを擁して2度の3連覇を果たした1990年代のシカゴ・ブルズに最も肉薄したチームのひとつだった。パスの名手であるジョン・ストックトン、"メールマン"こと得点製造機のカール・マローン、歴代4位の通算1221勝を誇るジェリー・スローン・ヘッドコーチ、そして「ピック&ロール」で当時の彼らは成り立っていた。
ボールハンドラーと対峙している選手に対してスクリーンをかけ、自らもフリースペースへ動いてパスをもらうピック&ロールは、バスケットボールの基本プレーだが、ジャズのそれは"究極の必殺技"だった。
ジョーダンと同じ1984年にジャズに入団ストックトンは、キャリア序盤こそ控えだったが、1987-88シーズン以降は85年にジャズ入りしたマローンと16年にわたって不動のレギュラーとして君臨した。共闘した18年間は925勝519敗(勝率64%)を誇り、すべてのシーズンでプレーオフに出場。96-97シーズン、97-98シーズンはファイナルに進出して王者ブルズを苦しめた。
マローンは歴代2位の通算3万6928得点を記録したが、歴代トップの通算1万5806アシストをあげ、NBA史上屈指のファシリテーターだったストックトンと一緒にプレーしていなければ、今の地位まで上り詰めていなかっただろう。他の追随を許さないコートビジョン、完璧なピンポイントパス。NBA史上最もアンストッパブルなピック&ロールコンビとなり得た理由を、マローンが『Barstool Sports』のポッドキャスト"Pardon My Take"で語っている。
「すべてはジョン・ストックトンから始まった」
完璧なピック&ロールを完成させるには「忍耐、忍耐、忍耐だ」と主張したマローン。「現役時代、俺は忍耐が足りなかった」と自戒の念を込めてそう振り返るが、それでもストックトンがピック&ロールを上手く機能させたという。
「俺たちはキャリアで無数のピック&ロールをしてきた。俺はエネルギーに満ち溢れていて、準備はできていたけど、ストックトンを見ると、少なくとも75~80%の場合はドリブルをしていて、手を挙げて俺に待てと伝えていた。当時の俺たちを振り返ったら、彼がそうしている時はプレーコールをしていないはずさ。ストックトンは、PGが早く動いてしまったら、自分のオフェンシブ・ファウルになるだけだって言っていたよ。彼はタイミングを見計らって、俺を守ってくれていたんだ。だから、完璧なピック&ロールは忍耐なんだ」
ボールハンドラーと対峙している選手に対してスクリーンをかけ、自らもフリースペースへ動いてパスをもらうピック&ロールは、バスケットボールの基本プレーだが、ジャズのそれは"究極の必殺技"だった。
ジョーダンと同じ1984年にジャズに入団ストックトンは、キャリア序盤こそ控えだったが、1987-88シーズン以降は85年にジャズ入りしたマローンと16年にわたって不動のレギュラーとして君臨した。共闘した18年間は925勝519敗(勝率64%)を誇り、すべてのシーズンでプレーオフに出場。96-97シーズン、97-98シーズンはファイナルに進出して王者ブルズを苦しめた。
マローンは歴代2位の通算3万6928得点を記録したが、歴代トップの通算1万5806アシストをあげ、NBA史上屈指のファシリテーターだったストックトンと一緒にプレーしていなければ、今の地位まで上り詰めていなかっただろう。他の追随を許さないコートビジョン、完璧なピンポイントパス。NBA史上最もアンストッパブルなピック&ロールコンビとなり得た理由を、マローンが『Barstool Sports』のポッドキャスト"Pardon My Take"で語っている。
「すべてはジョン・ストックトンから始まった」
完璧なピック&ロールを完成させるには「忍耐、忍耐、忍耐だ」と主張したマローン。「現役時代、俺は忍耐が足りなかった」と自戒の念を込めてそう振り返るが、それでもストックトンがピック&ロールを上手く機能させたという。
「俺たちはキャリアで無数のピック&ロールをしてきた。俺はエネルギーに満ち溢れていて、準備はできていたけど、ストックトンを見ると、少なくとも75~80%の場合はドリブルをしていて、手を挙げて俺に待てと伝えていた。当時の俺たちを振り返ったら、彼がそうしている時はプレーコールをしていないはずさ。ストックトンは、PGが早く動いてしまったら、自分のオフェンシブ・ファウルになるだけだって言っていたよ。彼はタイミングを見計らって、俺を守ってくれていたんだ。だから、完璧なピック&ロールは忍耐なんだ」