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【NBAデュオ列伝】ストックトン&マローンーー歴史に名を刻んだ最強デュオが、最後に見せた涙|前編

出野哲也

2020.06.10

ストックトン(左)とマローン(右)。NBAのみならず、あらゆるプロスポーツを見渡しても彼らほど結果を出し続けたデュオは存在しない。(C)Getty Images

ストックトン(左)とマローン(右)。NBAのみならず、あらゆるプロスポーツを見渡しても彼らほど結果を出し続けたデュオは存在しない。(C)Getty Images

 いつものジョン・ストックトンが、そこにはいた。

 2003年6月7日、ユタ・ジャズのホームアリーナ、デルタ・センター(現ビビント・スマート・ホーム・アリーナ)。彼の引退セレモニーには、2万人ものファンが集まった。白のポロシャツとカーキ色のズボンという、まったくの普段着に身を包むストックトンは、仰々しさとは無縁のリラックスした雰囲気を漂わせていた。

 しかし、さしものストックトンも、苦楽を共にした仲間のスピーチが始まると、平常心ではいられなくなった。長年ヘッドコーチ(HC)として接してきたジェリー・スローンは、言葉に詰まりながらも何とか最後まで話し通すことができた。だが、カール・マローンにいたっては、話し始める前から涙を流す始末だった。

「この日が来ないことを願っていた。ジョンには1人の人間として、いろいろなことを教えられた。そのことを一生忘れはしない」

 その光景を見ていたストックトンの目にも、いつしか涙が溜まっていた。

 ストックトンとマローンは、18年間にわたってジャズのチームメイトだった。ほかのどのプロスポーツを見回しても、これほど長時間コンビを形成し、最高の結果を出し続けた例はほとんどない。ジャズを支えたこの名コンビの歩みは、1984年、ストックトンの入団から始まった。
 
■アシスト、スティールのNBA記録を持つ小柄な白人PG

 ジョン・ストックトンは1962年3月26日、ワシントン州スポーケンに生まれる。ごく平凡な中流家庭に育ち、兄やその友達とバスケットボールをプレーするうち、その面白さにのめり込んでいった。

 NBA入りするまで、ストックトンは一般にはまったくと言っていいほど知られていない存在だった。地元のゴンザガなる無名大学にいたせいもあっただろう。ただし実力は折り紙つきで、スティーブ・カー(元シカゴ・ブルズほか)は当時のストックトンの力量を身をもって知っていた。

「ゴンザガ大に奨学金つきで入れるチャンスがあったんだ。でも、当時4年生のストックトンとのマッチアップでこてんぱんにされ、僕の評価はガタ落ちになった。彼のすごさを、その頃は誰も知らなかったんだ」

 1984年のドラフトでジャズに16位で指名された時も、依然として無名のまま。しかし、同年アシスタントコーチに就任したスローンは、ストックトンの鋭い洞察力に感銘を受け、この男はフランチャイズビルダーになると確信した。

 そして翌年、スローンはもう1人のフランチャイズビルダーに巡り合うことになる。
 
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